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ウンブリア州の北東部、マルケ州との州境に程近くの山インジノ山の中腹に、目前の平野を見下ろすようにグッビオの町は建てられています。山の頂や中腹に町が作られていること自体、この町が他のウンブリアの町と同じ性質を持っていることを暗示させます。
鉄道で行くにしても、フォリーニョ-アンコーナ間というローカル路線にあるフォッサート・ディ・ヴィーコ(Fossato di Vico)という駅が最寄り駅になるのですが、それでも駅から町までは20km程あり、とても近いとは言えません。 そう考えると、最も使える公共交通機関はペルージアからのバスでしょう。これであれば一日に数本の直通バスも出ているので、比較的アクセス条件は良くなります。公共交通機関を利用するなら、ペルージアをグッビオ観光のベースとするのがベストでしょう。ただし、ペルージア自体あまりアクセス条件が良くないのですが・・・。 便利さ加減でいえば、車によるアクセスが最も自由度が高いですね。町の入口に大きい駐車場もあるので、停める場所の不便さも感じません。町までの道のりは、高速道路一本と言うような単純な道のりではありませんが、交通渋滞もないので、ゆっくりとマイペースで運転をすることが出来ます。
町の入口 グッビオの町は、平野部に大きく開けたクアランタ・マルティーリ広場(Piazza Quaranta Martini)から始まります。町の入口らしく、この広場からは町の全体 ![]() この広場に面して、サン・フランチェスコ教会(San Francesco) ![]() この広場から山の方角に延びる、共和国通り(Via della Reppubbulica) ![]() 町の中心、シニョーリア広場 共和国通りを進み、突き当たりの階段を登るとシニョーリア広場にたどり着きます。地理的、政治的な町の中心と位置付けられるこの広場は、頑丈な地盤に人工的に作られた広場で、バルコニーのように下の平地に突き出しているために、眼下の町のすばらしい眺めを楽しめます。ちなみにこのバルコニー的な広場を支える4本のアーチ ![]() この広場に面している建物の中で、一番際立っているのがコンソリ館(Palazzo dei Consoli) ![]() コンソリ館の正面には、現在の市庁舎として使われている14世紀のプレトリオ館(Palazzo Pretorio)が建っています。またこの広場のあたりには、中世後期の建物 ![]() 町の最上部、ドゥオモ ドゥオモ ![]() ![]() 現在のドゥオモは、はじめはロマネスク様式であったのを、14世紀はじめにゴシック様式で改めて建て直したもので、さらにファザードは16世紀に再改造されています。ファザードにあるバラ窓の周りには、もともとあった大聖堂に設置されていた彫像が配置されています。内部は広い単廊式になっています。三廊式の教会が多い中で、ちょっと珍しいですよね。 このドゥオモの正面には、ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)が建っています。この宮殿は、代々ウルビーノを支配してきた家系である、モンテフェルト家のフェデリコ・ダ・モンテフェルトのために、1476年に建てられたと言われています。つまり、このドゥカーレ宮殿は、グッビオにおけるモンテフェルト家支配の象徴的な建物であるのです。ドゥオモの向かいに面して宮殿の荘厳な扉口 ![]() ![]() 眼下に町を見下ろす 標高827m、インジノ山の山腹にそびえるサントゥバルド聖堂(Sant'Ubaldo) ![]() ![]() サントゥバルドへの行き方は、三通りあります。一つ目は、町のサントゥバルド門(Porta Sant'Ubaldo)から徒歩で登るコースです。長い道のりに加えて、あまり整備されていない急な坂なので、かなり疲れると思います。と言うことで、このコースはあまりお薦めできないかも知れません。二つ目は、車を運転して上まで登るというコースです。一旦町を出て、回り道をしなければなりませんが、車なので疲れはしません。ただ、ちょっと面倒くさいかも知れませんね。三つ目は、リフト ![]() 町の外れにあるロマーナ門(Porta Romana) ![]() ![]()
- - - - - - - グッビオの町には、かつて、獰猛きわまりない狼が出没し、動物や人間をむさぼり食べていました。フランチェスコは、狼のところに行って、これを優しくとがめ、こう言いました。「我が兄弟なる狼よ。今後おまえが仲直りし、平和に暮らしたいというなら、おまえが生きている限り、この土地に暮らす人々が、おまえに食料をやるようにすることを約束しよう。そうすれば、おまえも飢えに苦しむことはあるまい。おまえが悪いことをしたのは、ひとえに飢えのためだということはよくわかっているのだからね。」そして、以後決して誰にも悪さをしないことを誓わせ、そのかわりに、食料の心配がないようにする役目を引き受けたのでした。以後、狼はおとなしく家々を訪問し、行儀良く食べて、この町で暮らしました。しかしその2年後に、人々に惜しまれながらも、老衰のために亡くなってしまいました。 |
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