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有史以前の大昔、歴史の教科書では石器時代と区分されていた時、ヒトは洞窟の中で暮らしていたことはご存じでしょう。洞窟そのものが、自然が作った「家」の役割を果たしていたのは、簡単に想像することが出来ます。そのうちヒトは洞窟を出て、「家」を自分達で作り出すようになりました。そうなるとかつて「家」として利用されていた洞窟は、利用されなくなり、放棄され、荒廃し、忘れ去られていく運命をたどらないではいられませんでした。
8・9世紀になると、イスラム教徒や偶像破壊主義者からの迫害を逃れたギリシャの修道僧たちがこの地にやって来て、岩窟住居を住処としたり、修道院としたりして、洞窟の用途がさらに広がっていったようです。 16世紀には、ナポリ王国の支配のもとで商業や農業が繁栄を極め、人口が約7,000人から約12,000人に急増しました。しかしこの街の繁栄と人口急増の結果は、貧富の差を生むこととなり、裕福な人々は高台に住み、貧しい人々は岩窟に住むという社会構造を生み出してしまいました。この傾向は、時が経つにつれて拍車がかかり、高台の市街地の整備が進み急速な発展を遂げる一方で、岩窟住居には貧しい農民や労働者が住み続け、整備されない岩窟住居地区の居住環境は、ますます悪化していったのです。 マテーラの近くの村に流刑の身となって住んでいたカルロ・レーヴィの著書「キリストはエボリにとどまりぬ」で描かれたことに端を発し、1950年代から60年代にかけて、サッシ地区の住民が郊外の近代的な街へ強制的に移住させられたことで、サッシ地区は無人化してしまい、完全に廃墟と化してしまいました。 近年、岩窟住居の歴史的遺産としての重要性が再認識され、無人のサッシ地区の荒廃をくい止めようと、住民を呼び戻そうとする動きが活発に行われています。住居として再生されたり、多目的スペースとして再利用されたり、その目的は多岐に渡るにせよ、人の手が加えられ整備されることにより、サッシ地区には徐々に復興しているようです。夕暮れ時に、サッシ地区に灯るまばらな街の灯は、そんなサッシ地区の復興の灯火のように見えてきます。 1993年、ユネスコの世界遺産に登録。
ドゥオモ(Duomo) サッシ地区を見渡す高台にあるドゥオモは、1268年から1270年ににかけて建設された、プーリア=ロマネスク様式の教会です。基本的に簡素な作りですが、扉口周辺の浅彫りや、三人の天使に支えられるバラ窓とその上に立つ大天使ミカエルの姿や、人や動物の像への変化が見られるファザードの付け柱など、細かいところでの装飾が目を引く作りになっています。 このドゥオモ、二つのサッシ地区のあいだで、一番の存在感を放っています。特にドゥオモ脇にそびえる鐘楼は、サッシ地区にあって「非常に特異な」建築物であるように見る人の目に映ります。無秩序で曲線的なサッシ地区にあって、秩序的で直線的な鐘楼が天に向かってそびえ立つその姿は、サッシ地区の多くの場所から眺めることが出来ます。このような大聖堂は、厳しい住環境に暮らす中世以降の岩窟住宅の住民の大きな心の支えになっていたと想像することは、サッシ地区にたたずみ大聖堂を眺めていると、ごく自然なことのように思えてきます。 このドゥオモ前に広がる、ドゥオモ広場からのサッソ・バリサーノ地区のパノラマは、是非ご覧下さい。 サッソ・バリサーノ(Sasso Barisano) ドゥオモの北側に広がる地区が、サッソ・バルサリーノ地区です。地区の中にある、サン・ピエトロ・バリサーノ教会にちなんで、サッソ・バリサーノ地区と名付けられています。 この地区の最も低いところに建てられている教会が、サンタゴスティーノ教会(Sant'Agostino)です。1594年に以前からあった教会の跡地に再建された教会で、1750年に全面的に再建され、現在にその姿を残しています。グラヴィーナ渓谷の崖縁に建てられた教会の姿は、マテーラの土地に生きるきびしさを象徴しているような印象を受けます。 サッソ・カヴェオーソ(Sasso Caveoso) ドゥオモの南側に広がる地区が、サッソ・カヴェオーソ地区で、こちらの方には岩窟教会などの洞穴が数多く残っています。サッソ・バリサーノの名前の由来と同じように、こちら側も地区の中にある、サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会にちなんで名付けられています。 この地区の最も低いところに建てられている教会でもあるサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会は、十字架の立つ岩山を背後に、渓谷を見下ろすことが出来る広場を前面に持ち、そこではパゾリーニの「奇蹟の丘」やトルナトーレの「明日を夢見て」など、たくさんの名画が撮影されています。 この教会の隣には、エローネ山上に岩をくり貫いて作られた、サンタ・マリア・デ・イドリス教会(Santa Maria de Idris)が、ひっそりと建っています。 サッシの眺望通り(Strada Panoramica dei Sassi) サッソ・バリサーノ地区のサンタゴスティーノ教会と、サッソ・カヴェオーソ地区のサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会のあいだを結ぶマドンナ・デッレ・ヴィルトゥ通り(Via Madonna delle Virtù)は、別名・サッシの眺望通りと呼ばれています。その名が示すとおり、この通りからのサッシ地区の眺望は抜群です。 この通りは、グラヴィーナ渓谷の崖縁の上、サッシ地区の最も低いところを通っているために、見上げるような形で街の全体図を眺めることが出来ます。さらには、グラヴィーナ渓谷や対岸にある天然の洞窟を利用した岩窟住居のパノラマを楽しむことが出来ます。ゆっくりと散策しながら、マテーラのパノラマを堪能したい通りです。
ファザードに骸骨彫刻が施されているプルガトリ教会、バロック様式のサン・フランチェスコ・ダッシジ教会といった比較的新しい教会や、考古学博物館、時計を掲げたランフランキ館といった美術館や、商店やホテル、レストランが立ち並んでおり、サッシ地区にはみられない、どこにでも見られるような街の姿を見せてくれます。 ランフランキ館の国立バシリカータ美術館には、「キリストはエボリにとどまりぬ」を著したカルロ・レーヴィが描いた絵が展示されています。
このように、すべてのサッシ地区の眺望を見るためには、当然サッシ地区にいては無理で、その対岸に行かなければならないことは、容易に想像が出来るところです。切り立った崖にしがみつくようにして立ち並ぶ岩窟住居「サッシ」地区の、ここからのパノラマは圧巻の一言に尽きます。 ティモーネの展望台への行き方 市街地を出て、国道7号線を東のラテルツァ方面にしばらく進むと(2km程度)、右に入る道があります。その道には門がついており、門をくぐって真っ直ぐに進む道と、門をくぐらずに左方向に進む道とが延びています。門をくぐり、並木道を真っ直ぐに進むと突き当たったりにサンタ・マリア・デッラ・コロンバ教会(Santa Maria della Colomba)、別名ラ・パランバ(La Palomba)があります。展望台へ行くためには、門をくぐらずに左の方に進みます。 ここから先は、ひたすら進んで下さい。舗装されていた道も次第に未舗装になり、荒涼としたところを進んでいきます。そして、進んでいくとマテーラを一望することが出来る展望台にたどり着きます。この展望台、グラヴィーナ渓谷に近づいて眺望が開けているようなところなので、特に施設はありません。このような展望台は、進む道程において何カ所もあります。マテーラに近づくにつれ、街も大きく見えるようになります。 そうして更に進んでいるうちに、たくさんの岩窟建築を見ることが出来ます。特に7〜13世紀頃に、天然の洞窟を利用して作られた「岩窟教会」が多く点在しています。自然の洞窟とは言っても、内部の壁や天井には色を施したと思われる後が見られるので、かつては色彩豊かに装飾されていたことがわかります。 そうこうして進んでいくと、アスファルトに舗装された広めの駐車場にたどり着きます。ここがティモーネの展望台です。サッソ・カヴェオーソ地区の方に近いこの展望台が、展望台巡りの最終地点となります。ここからは、ドゥオモからサッソ・カヴェオーソ地区の全体を間近に眺めることが出来ます。
遠くから見ると雑然としたように見えても、近づいてみるときれいなサッソが思い思いに立ち並んでいたり。近くで見ると無秩序で雑然としているように見えても、遠くから見ると整然として秩序的に見えたり。様々なサッシの表情を見ることが出来ます。 街を歩きながらサッシ地区を見ていると、同じようなところを見ていても、その角度や高さにより違ったように見えてくるので、飽きないのです。日照の角度が異なることによって出来る影一つ一つは小さな影でも、それが街全体ともなると、全然違う印象になります。 あっちこっちを見てもよし、同じところを見てもよし、色々な楽しみ方ができる。マテーラのサッシ地区は、そんなところだと思います。 |