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ヴェネツィア
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Venezia

 ベニスの商人とも言われるように、ヴェネツィアは地中海貿易でその富を蓄え・やがて大航海時代への時代の移り変わりと共に徐々に衰退していった。そんな地中海とは切っても切り放せない国です。ですから「地中海の女王」と呼ばれたり「水の都」と呼ばれたりもします。そんなベネツィアも現在では「観光の女王」となり、連日観光客でにぎわう街となっています。

ヴェネツィア共和国の中心
 かつてのヴェネツィア共和国の政治の中心であり、現在のヴェネツィアの観光の中心と言えば、やっぱり「サンマルコ広場(Piazza San Marco)」でしょう。サンマルコ広場の周りには、ヴェネツィアの守護聖人サンマルコの遺体をまつるために建てられた廟である「サンマルコ寺院(Basilica di San Marco)」や、ヴェネツィア共和国の元首が住み政治の中心地であった「ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale」や、世界最古のカフェ「カフェ・フローリアン(Caffe Florian)」などが立ち並んでいます。

ヴェネツィア建国は逃避から
 ヴェネツィアの本土(?)は、ほとんどが人工の島であるという事は良く知られていますが、では何でわざわざ陸地に住まずにラグーナと呼ばれる干潟を埋めたって居住するようになったのでしょうか。
 その始まりは五世紀のフン族という蛮族による侵攻が原因だそうです。ヴェネツィア住民の遠い祖先はヴェネト地方に住んでいたのですが、当時ヨーロッパを恐怖のどん底に陥れていたフン族が侵攻してき、その逃げ道として葦だけが一面に繁っている干潟に、神の啓示を受けて、新天地を求め移り住んだそうなのです。そしてその数十年後には西ローマ帝国は滅亡してしまいました。
 当初は広い干潟の中でも最も陸地に近い当たりに居住していたようですが、他民族の侵攻の経験から、防衛上の立地を考慮し、陸地からは最も遠い干潟の中心地で現在の場所に本格的に都市を建設したのです。

ベニスの商人は守護聖人まで
 ヴェネツィアの守護詩人は聖マルコですが、実は聖マルコが守護聖人になる前は、聖テオドーロがその役割を果たしていました。ではなぜ聖マルコにバトンタッチしたのでしょうか。
 それは九世紀頃エジプトのアレキサンドリアで祭られていた聖マルコの遺体を、何と買ってきてしまったからなのです。どうしてそんなたいそうなものを買えたかという裏には、当時アレキサンドリアにおかれたキリスト教徒の状況など複雑な状況があったようですが、買ってしまった遺体は、キリスト教の中でも一級の聖人なのです。そんなわけで聖テオドーロには退いていただいて、聖マルコが守護聖人となり、聖人を寓意する獅子までおも、自国の国旗の中に取り入れてしまったのです。

ゴンドラの旅
 ヴェネツィアといえば、ゴンドラがとても有名です。かつてヴェネツィアが小さな教区に分かれて町が形成されていた頃には、運河を渡す橋が今ほどなかったために、重要な市民の足となっていました。ただし歴史の過程においてそれらの教区もなくなり、運河には多くの橋が架けられたためにゴンドラの市民の足としての役割は減少し、現在では運河を遊覧する観光用に使われています。そして、大運河のあちことで「Gondola Servizio」という乗船場を見かけることが出来ます。

先ずはゴンドラに乗る
 今回我々は、サン・マルコ広場前にある乗船場からゴンドラに乗りました。ゴンドラによる遊覧コースには、Grande GiroとPiccolo Giroの二種類のコースがあり、Grande Giroは約1時間、Piccolo Giroは約30分の遊覧コースとなっていました。今回我々は、初めてのゴンドラ体験だったために、奮起してGrande Giroに行ってみることに決めました。Grande Giroで1人90,000リラ(2000年10月現在)を払いましたが、乗船する時間帯や音楽の有無によって、この料金は変わるようです。

いよいよ出発
 さて、いよいよゴンドラに乗船。ゴンドリーノはパオロでした。そして、サン・マルコ広場を出発です。サン・マルコ広場前は、船の往来が激しいために、ゴンドラも大きく上下に揺れました。大運河で舵を左にとると、左手にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(Santa Maria della Salute)が見えます。この教会は、1630年に猛威をふるったペストの終えんに感謝するために、当時の元老院が聖母マリアに捧げるために建立されたそうです。この教会に隣接するサルーテ広場(Campo della Salute)は大運河に面している数少ない広場のうちの一つです。

サン・モイゼ小運河
 大運河を少し進み、1本目のサン・モイゼ小運河(Rio del San Moise)で右に曲がると、その角には一流ホテルバウアー・グリュンバルト(Bauer Grunwald)があります。この名前は、オーストリア支配の名残で、当時このパラッツォを所有していたオーストリア人の名前にちなんでいるそうです。この小運河をしばらく進むと、モーツアルトがヴェネツィア在住当時に住んでいた家が見えてきます。そして次にはヴェネツィアが生んだ冒険家マルコポーロの生家が見えてきます。

大運河
 左に曲がりサン・ルカ小運河(Rio di San Luca)を過ぎると、大運河(Canal Grande)にたどり着きます。ヴェネツィア島内で最も大きな水路であり、市内を北西から南東にかけて「Z」形に横断しています。フィリップ・ド・コミーヌが「世界でおそらく最も美しい道」とたたえているように、両岸にはかつて貴族達がこぞって建立した豪華なパラッツォを、現在でも見ることが出来ます。
 大運河に出てすぐ右手には、現在では市庁舎がおかれているファルセッティ・ロレダン宮(Palazzo Farsetti e Loredan)が見えてきます。そしてしばらく進んだヴェレポット乗り場「リアルト」のところには、パラッツォ・ドルフィン・マニン(Palazzo Dolfin Manin)があります。ここは現在イタリア銀行となっていますが、かつては総督であるドージェがここに居を構えていたそうです。

リアルト橋
 そして前方に見えてくるのが、ヴェネツィアで最も有名な橋、そして19世紀までは町の2つの地区を結ぶ唯一の橋であった、リアルト橋(Ponte di Rialto)です。かつては大きい船が橋の下を通れるようにと開閉式であった橋も、現在では橋の上にたくさんの店が並んでいます。そして橋の欄干からは大運河の川上川下ともに眺めを楽しむことが出来ます。

フォンテゴ小運河〜パラッツォ小運河
 リアルト橋をくぐり、右手にある最初のフォンテゴ小運河(Rio del Fontego)を進むと、プレイボーイとして名高いカサノバの生家が見えてきます。そしてしばし小運河を行き交うゴンドラからどこからともなく聞こえてくるカンツォーネを聞きながら、進んでいくとコースの最後となるパラッツォ小運河(Rio di Palazzo)に到着します。この小運河の河口には、嘆きの橋があります。この橋はドゥカーレ宮と隣接する牢獄とを結ぶ橋で、宮殿での裁判で有罪が確定すると罪人はこの橋を渡って牢獄へ行くのですが、その時に橋の窓から外を眺め嘆き悲しんだことからこの名前がついたのです。あのプレイボーイカサノバもこの橋を渡ったそうです。ただし、彼はその後脱獄に成功したそうです。

最後に..
 そして再びゴンドラはサン・マルコ広場の船着場へと戻ってきました。ほんの1時間のゴンドラの旅であったが、運河上から見るヴェネツィアの風景は夢のようで、かつてヨーロッパ中の知識人のあこがれであった当時のヴェネツィアを想像するのは難しくなかったです。

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