ヴェネツィア共和国の中心
かつてのヴェネツィア共和国の政治の中心であり、現在のヴェネツィアの観光の中心と言えば、やっぱり「サンマルコ広場(Piazza San Marco)」でしょう。サンマルコ広場の周りには、ヴェネツィアの守護聖人サンマルコの遺体をまつるために建てられた廟である「サンマルコ寺院(Basilica di San Marco)」や、ヴェネツィア共和国の元首が住み政治の中心地であった「ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale」や、世界最古のカフェ「カフェ・フローリアン(Caffe Florian)」などが立ち並んでいます。
いよいよ出発
さて、いよいよゴンドラに乗船。ゴンドリーノはパオロでした。そして、サン・マルコ広場を出発です。サン・マルコ広場前は、船の往来が激しいために、ゴンドラも大きく上下に揺れました。大運河で舵を左にとると、左手にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(Santa Maria della Salute)が見えます。この教会は、1630年に猛威をふるったペストの終えんに感謝するために、当時の元老院が聖母マリアに捧げるために建立されたそうです。この教会に隣接するサルーテ広場(Campo della Salute)は大運河に面している数少ない広場のうちの一つです。
サン・モイゼ小運河
大運河を少し進み、1本目のサン・モイゼ小運河(Rio del San Moise)で右に曲がると、その角には一流ホテルバウアー・グリュンバルト(Bauer Grunwald)があります。この名前は、オーストリア支配の名残で、当時このパラッツォを所有していたオーストリア人の名前にちなんでいるそうです。この小運河をしばらく進むと、モーツアルトがヴェネツィア在住当時に住んでいた家が見えてきます。そして次にはヴェネツィアが生んだ冒険家マルコポーロの生家が見えてきます。
大運河
左に曲がりサン・ルカ小運河(Rio di San Luca)を過ぎると、大運河(Canal Grande)にたどり着きます。ヴェネツィア島内で最も大きな水路であり、市内を北西から南東にかけて「Z」形に横断しています。フィリップ・ド・コミーヌが「世界でおそらく最も美しい道」とたたえているように、両岸にはかつて貴族達がこぞって建立した豪華なパラッツォを、現在でも見ることが出来ます。
大運河に出てすぐ右手には、現在では市庁舎がおかれているファルセッティ・ロレダン宮(Palazzo Farsetti e Loredan)が見えてきます。そしてしばらく進んだヴェレポット乗り場「リアルト」のところには、パラッツォ・ドルフィン・マニン(Palazzo Dolfin Manin)があります。ここは現在イタリア銀行となっていますが、かつては総督であるドージェがここに居を構えていたそうです。
リアルト橋
そして前方に見えてくるのが、ヴェネツィアで最も有名な橋、そして19世紀までは町の2つの地区を結ぶ唯一の橋であった、リアルト橋(Ponte di Rialto)です。かつては大きい船が橋の下を通れるようにと開閉式であった橋も、現在では橋の上にたくさんの店が並んでいます。そして橋の欄干からは大運河の川上・川下ともに眺めを楽しむことが出来ます。
フォンテゴ小運河〜パラッツォ小運河
リアルト橋をくぐり、右手にある最初のフォンテゴ小運河(Rio del Fontego)を進むと、プレイボーイとして名高いカサノバの生家が見えてきます。そしてしばし小運河を行き交うゴンドラからどこからともなく聞こえてくるカンツォーネを聞きながら、進んでいくとコースの最後となるパラッツォ小運河(Rio di Palazzo)に到着します。この小運河の河口には、嘆きの橋があります。この橋はドゥカーレ宮と隣接する牢獄とを結ぶ橋で、宮殿での裁判で有罪が確定すると罪人はこの橋を渡って牢獄へ行くのですが、その時に橋の窓から外を眺め嘆き悲しんだことからこの名前がついたのです。あのプレイボーイカサノバもこの橋を渡ったそうです。ただし、彼はその後脱獄に成功したそうです。