スポレートの町 全都市表示 サイトマップ トップへ

スポレート
Spoleto

 「スポレートの近くまで来ると、田舎の様子ががらりと変わる。」かつてローマから、スポレートの地を訪れたモンテスキューは、この渓谷地帯を、ローマ周辺に広がる平野と対比してこの様に評したといわれています。
 丘の上に建設され、落ち着いた色調の石造りの町という点など、他のウンブリアの町と多くの共通点を見出すことが出来ます。それもそのはず、ここスポレートも町の起源を古代ウンブリア時代にまで遡ることが出来、その後エトルリア人、ローマ人、蛮族、教会等の様々な支配を経験してきたという、この地特有の共通点を抱えているからです。
 現在でもその名残は町の至るところに残されており、長い歴史の変遷をたどることが出来ます。また、このような歴史的な側面だけではなく、スポレート・フェスティバルが毎年開催され、様々な催しがおこなわれるなど新しい町の側面を見ることが出来ます。

■スポレートの行き方
 公共の交通機関を使うのであれば、鉄道を利用するのが一番便利でしょう。旧市街地は、鉄道の駅から1km程と歩いて行くにしても便利です。車を利用するにしても、幹線道路のすぐそばなために、これまた行きやすいと言えます。

■スポレートの見どころ
 スポレートの町の見どころは、大きく分けて三ヶ所あるといえるでしょう。その三ヶ所とは古代ウンブリアやローマ時代の面影が残る「旧市街地」と、ローマ教皇領時代の要塞と壮大な橋が存在感を示す「町の最上部」と、いくつかの貴重な教会が点在する「町の外」です。それ程大きな町ではないので、全てをゆっくりまわっても、一日かからないくらいで見て回れるでしょう。

■旧市街地
 スポレートの町の一番の見どころは、なんと行っても古代ウンブリアやエトルリアの時代の町の雰囲気を色濃く残す旧市街地の町並と言えます。黒かかった灰色の石によって形成される町並みは、重厚さすら感じる落ち着いた雰囲気を作り出してます。その様な落ち着いた町の雰囲気が、周囲の山の緑に溶け込み、調和している様を見手歩くだけでも十分に楽しめます。
 また、その様な落ち着いた町並みにアクセントを加える建造物として、ローマ時代の史跡が町の至る所に残されていたり、様々な時代に建てられた教会が残っていたりします。規模自体は小規模な町なので、特筆すべき目玉建造物がごろごろしているわけではありませんが、この町ならではのものに数多く出会えることでしょう。

旧市街の中心、リベルタ広場
 リベルタ広場(Piazza della Libertà)自体が、それ程魅力的であったり、歴史的に重要であったりするわけではありません。あえてここに登場しているのは、この広場が旧市街地を見て歩く上での、分岐点的な存在だからです。ということで、ここを起点にちょっと旧市街につい見たいと思います。
 先ずこの広場の目印ともなるのが、広場の南側に面して建つ17世紀の貴族の館、アンカイアーニ館(Palazzo Ancaiani)です。そしてこの館を背にして、左方向に坂を下っていくとすぐローマ劇場(Teatro Romano)があり、真っ直ぐに進むと旧市街の南北の目抜き通り的なマッツィーニ大通り(Corso Mazzini)があり、右方向に坂を上っていくと古い町並みが美しいブリニョーネ通り(Via Brignone)があります。
 この中で、雰囲気があるのはなんといってもブリニョーネ通り方向です。リベルタ広場やマッツィーニ大通りが、比較的良く見られるような中世の町並みであるのに対して、重厚な石造りの町へと一気に町並みが変わっていくからです。

アルコ・ディ・ドゥルーゾ通り
 ブリニョーネ通りを登っていくと、規模こそとても小さいが石造りでとても雰囲気のあるモンテローネ門(Arco di Monterone)に出会います。このモンテローネ門は、紀元前3世紀に建造されたと考えられている門で、建造当時は古代ローマの城壁に備わっていた頑強な門の一つとして機能していたそうです。
 ブリニョーネ通りから来てモンテローネ門を通らずに右に進むと、石畳で覆われたアルコ・ディ・ドゥルーゾ通りに入ります。通りに入り先ず目に付くのが、通りの名前にもなっているドゥルーゾの凱旋門(Arco di Druso)です。この門はローマ時代の紀元1世紀に建造されたもので、モンテローネ門のような城壁の門というよりは、古代ローマ都市の中心広場の入口であり、記念碑としての役割を持っていたようです。ちなみに、この凱旋門に隣接するサン・アンサノ教会(Sant'Ansanoの)下には紀元1世紀の古代ローマ神殿の遺跡が見られます。
 アルコ・ディ・ドゥルーゾ通りは、かつて古代ローマの中心広場の一部と考えられているメルカート広場(Piazza Mercato)まで続いており、この広場で終点を迎えます。メルカート広場は、現在では古代ローマ時代の広場の面影すら感じることは出来ませんが、古代ローマの様式を取り入れて18世紀に作られた美しい噴水、ピアッツァの噴水(Fonte di Piazza)があります。

市庁舎周辺
 市庁舎は度々の改修によって、創建当時の名残はほとんどなく、建物自体に驚嘆すべき点はないと言っても過言ではないと思います。ただし、市庁舎そのものは置いておいて、その周辺は町の雰囲気が良く出ている様に感じます。
 例えば、市庁舎の西側沿いに通っているヴィジアーレ通り(Via Visiale)はそのひとつとして数えられるでしょう。両側を高い建物で囲まれた狭い石畳の通りで、通りの上にウンブリアの町で良く見られる両方の建物をつなげるアーチがかかっています。そして、この通り沿いにはローマ時代の家(Casa Romana)が残っていたりします。このローマ時代の家、紀元前1世紀の裕福な家庭の邸宅とされており、18世紀に増築された市庁舎西棟の下にひっそりと残されています。
 また、通り沿いの石の壁をくり貫いて作られた、住宅地へ向かうであろう名もない通りの石の階段(もちろん、本当は通りの名前はあるのだろうが・・・)があったりと、散策するには楽しいところです。

 以上、リベルタ広場と市庁舎の間の地区は、その建物や通りなど、旧市街地の散策のポイントとなるでしょう。でも旧市街地には、町並みとは別にもう一つの大きな見どころがあります。それは、市庁舎のすぐそばにあるドゥオモです。

スポレートのドゥオモ
 小さな間口から下る階段の先に見えるのが、スポレートのりのドゥオモ(Duomo)です。
 先ず珍しいのが、ドゥオモへのアプローチです。ドゥオモともなれば、どのような町でも町一番の大聖堂なので、キリスト教としては威厳を持たせなければならないわけです。そうなると、このような丘陵を利用した都市の場合には、高めのところに建設される場合が多くなります。まあ、「一段高いところに置き、権威を高める」といったところでしょう。ところが、ここのドゥオモは下っていくのです。これが珍しいですね。ただし、下って行くにしても階段の上部の幅を狭くし、段々幅を広げながら最終的にドゥオモ広場に届くようになっているので、空間的な広がりは非常に感じます。ということは、地理的にここにしか建設する事が出来ず、その立地をカバーするために、階段の幅を工夫したりしたのだろうか?などと考えてしまいます。まぁ何にせよこの階段によるアプローチは、16世紀のランカーニ館(Palazzo Rancani)やサンテウフェミア教会(Sant'Efumia)が建っていたり八角形の建物サンタ・マリア・デッラ・マドンナ教会(Santa Maria della Madonna)があったりと、とても綺麗です。
 この階段を下りきると、いよいよドゥオモです。階段の上から見ると、それ程大きく見えないドゥオモですが、目前に迫ると当たり前ですがかなり大きいです。ファザード左手にそびえ立つ鐘楼も手伝って、その堂々たる姿はなかなかのものです。さて、ファザードですが、基本的には石造りの質素なものですが、そこにアクセントを加えているのが、バラ窓と金色に輝くビザンチン様式のモザイクです。とくに、バラ窓は七つものバラ窓が、ファザードの中層から上層にかけて配置されています。七つものバラ窓で装飾されているファザードも、これまた珍しいです。
 因みにこのドゥオモが建てられたのは12世紀、以前建っていた大聖堂を神聖ローマ帝国(ホーエンシュタウフェン家)赤ヒゲのフリードリヒ皇帝が壊してしまった後に建てられたものなのだそうです。いくら皇帝だからと言って、大聖堂ごと町を壊してしまうなんて、なんて恐ろしいんでしょう。まあ、だからこそ彼は周囲から勇猛果敢と恐れられらのでしょうけど・・・。
 さてこのドゥオモには、スポレートで亡くなった画家フィリッポ・リッピの墓があります。彼はこのドゥオモ内部の壁画(フレスコ画)を描いており、どの縁もありここに埋葬されたのでしょう。この墓は、息子のフィリッピーノ・リッピがデザインし、フィレンツェの無名の彫刻家が手がけたものです。

■町の最上部
 旧市街を登り切ると、緑の芝生をたたえたカンペッロ広場(Piazza Campello)へとたどり着きます。そしてこの広場から延びるロッカ通り(Via della Rocca)は、その名の通り城塞(Rocca)の周囲をぐるっと一周取り囲むように続いている通りです。町外れの一段高い場所にあるので、町の喧噪を離れて、ぶらぶらと散歩をしながら旧市街の様子や町の周りの様子、町外れの教会の様子など、様々な風景を見ながら一周するのも良いでしょう。

塔の橋
 ロッカ通りも、旧市街と反対側に来ると周囲の風景がガラリと変わってきます。町の様子などは一切目に入らず、豊かな自然の緑色が目の前に飛び込んできます。そして、かなりの水量が流れている水の音が聞こえてきます。肝心の川の流れは、あまりにも緑が深いために確認することは出来ないが、その水の流れる音は周囲の緑色と溶け込んで、心をリラックスさせてくれます。
 更に進むと今度は、緑の木々の間に巨大な建造物が出現します。これは眼下を流れるテッシーノ川の上にかかる塔の橋(Ponte delle Torri)です。城塞のあるサンテリアの丘と対岸にあるモンテルーコの丘を結んでいて、全長230m、高さ76mで、10のアーチによって支えられている大規模なものです。この橋は、川を渡る役割と同時に、城塞に水を供給する水道橋としての役割を持っていて、オリジナルはローマ時代に建設されたそうです。現在かかっているものは、12世紀に建設され、14世紀に城塞を設計したガッタポーネによって改築されました。
 この橋は歩いて渡ることが出来るので、極度の高所恐怖症でない人は渡ってみると良いでしょう。ただ、高いところが苦手な人は止めておきましょう。道幅は狭く、しかも歩き慣れない砂利道で不安を感じる上に、柵や手すりに類するものがあることはあるのですが、とても背が低く、簡単に落っこちてしまいそうです。高いところが苦手だと、真っ直ぐ歩くことさえ大変なのに、所々犬の糞が転がっていて、真っ直ぐさえ歩けなかったりします。高いところがそれ程苦手でなくても、橋の上から下の川を覗くと足がすくむくらいです。
 ただ、橋の上からは結構良く城塞が望めます。

城塞
 ちなみにこの城塞、町で一番標高の高いところに建設されているので、立地は抜群。そもそもは、スポレートにおけるローマ教皇支配を強化する目的で、15世紀にアルポルノス枢機卿がガッタポーネに設計を依頼して建てられました。多くの歴代の教皇達も、かつてはここに滞在したそうなのですが、ローマ教皇の支配力が弱まると共に利用されなくなり、18世紀には廃墟となってしまいました。その後の城塞の運命は決して輝かしいとは言えず、兵舎として利用されたり、イタリア統一後には刑務所として利用されていたりしました。その過程で痛みが激しくなり、現在は修復作業が進められています。

■町の外
 町の外にはいくつかの貴重な教会が点在しています。その中で我々が訪れたのは、二つの教会でした。

サン・ピエトロ教会
 サン・ピエトロ教会(San Pietro)は、モンテルーコの丘の裾野に建っています。なんと言ってもここの見どころは、ファザードに施されたとても細かい浮彫でしょう。この浮彫は、12世紀、13世紀後期のロマネスク文化の重要な作品としての価値を持っていて、正面扉の両脇には4つのアーチと擬人化された動物像の装飾が施されており、さらにその外側には、新約聖書の場面や、動物、寓話をテーマにした10の浮彫が施されています。一つ一つが精密でとても美しいです。

サン・サルヴァトーレ教会
 サン・サルヴァトーレ教会(San Salvatore)は、ルチアーノの丘に建っています。この教会はキリスト教の初期、4〜5世紀の教会で、正面と後陣部は創建当時のまま残っているという貴重な教会です。外観・内部共に非常に質素で、まだキリスト教が絶対的な政治力をもつ以前の純粋だった頃の素朴さを感じます。綺麗な教会ばかり見慣れているので、ちょっと違和感を感じるかも知れませんが、それが逆に新鮮に感じるはずです。

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