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「スポレートの近くまで来ると、田舎の様子ががらりと変わる。」かつてローマから、スポレートの地を訪れたモンテスキューは、この渓谷地帯を、ローマ周辺に広がる平野と対比してこの様に評したといわれています。
また、その様な落ち着いた町並みにアクセントを加える建造物として、ローマ時代の史跡が町の至る所に残されていたり、様々な時代に建てられた教会が残っていたりします。規模自体は小規模な町なので、特筆すべき目玉建造物がごろごろしているわけではありませんが、この町ならではのものに数多く出会えることでしょう。 旧市街の中心、リベルタ広場 リベルタ広場(Piazza della Libertà)自体が、それ程魅力的であったり、歴史的に重要であったりするわけではありません。あえてここに登場しているのは、この広場が旧市街地を見て歩く上での、分岐点的な存在だからです。ということで、ここを起点にちょっと旧市街につい見たいと思います。 先ずこの広場の目印ともなるのが、広場の南側に面して建つ17世紀の貴族の館、アンカイアーニ館(Palazzo Ancaiani) ![]() この中で、雰囲気があるのはなんといってもブリニョーネ通り ![]() アルコ・ディ・ドゥルーゾ通り ブリニョーネ通りを登っていくと、規模こそとても小さいが石造りでとても雰囲気のあるモンテローネ門(Arco di Monterone) ![]() ブリニョーネ通りから来てモンテローネ門を通らずに右に進むと、石畳で覆われたアルコ・ディ・ドゥルーゾ通りに入ります。通りに入り先ず目に付くのが、通りの名前にもなっているドゥルーゾの凱旋門(Arco di Druso) ![]() アルコ・ディ・ドゥルーゾ通りは、かつて古代ローマの中心広場の一部と考えられているメルカート広場(Piazza Mercato)まで続いており、この広場で終点を迎えます。メルカート広場は、現在では古代ローマ時代の広場の面影すら感じることは出来ませんが、古代ローマの様式を取り入れて18世紀に作られた美しい噴水、ピアッツァの噴水(Fonte di Piazza) ![]() 市庁舎周辺 市庁舎は度々の改修によって、創建当時の名残はほとんどなく、建物自体に驚嘆すべき点はないと言っても過言ではないと思います。ただし、市庁舎そのものは置いておいて、その周辺は町の雰囲気が良く出ている様に感じます。 例えば、市庁舎の西側沿いに通っているヴィジアーレ通り(Via Visiale) ![]() ![]() また、通り沿いの石の壁をくり貫いて作られた、住宅地へ向かうであろう名もない通りの石の階段 ![]() 以上、リベルタ広場と市庁舎の間の地区は、その建物や通りなど、旧市街地の散策のポイントとなるでしょう。でも旧市街地には、町並みとは別にもう一つの大きな見どころがあります。それは、市庁舎のすぐそばにあるドゥオモです。 スポレートのドゥオモ 小さな間口から下る階段の先に見えるのが、スポレートのりのドゥオモ(Duomo) ![]() 先ず珍しいのが、ドゥオモへのアプローチです。ドゥオモともなれば、どのような町でも町一番の大聖堂なので、キリスト教としては威厳を持たせなければならないわけです。そうなると、このような丘陵を利用した都市の場合には、高めのところに建設される場合が多くなります。まあ、「一段高いところに置き、権威を高める」といったところでしょう。ところが、ここのドゥオモは下っていくのです。これが珍しいですね。ただし、下って行くにしても階段の上部の幅を狭くし、段々幅を広げながら最終的にドゥオモ広場に届くようになっているので、空間的な広がりは非常に感じます。ということは、地理的にここにしか建設する事が出来ず、その立地をカバーするために、階段の幅を工夫したりしたのだろうか?などと考えてしまいます。まぁ何にせよこの階段 ![]() ![]() この階段を下りきると、いよいよドゥオモです。階段の上から見ると、それ程大きく見えないドゥオモですが、目前に迫ると当たり前ですがかなり大きいです。ファザード左手にそびえ立つ鐘楼も手伝って、その堂々たる姿はなかなかのものです。さて、ファザード ![]() 因みにこのドゥオモが建てられたのは12世紀、以前建っていた大聖堂を神聖ローマ帝国(ホーエンシュタウフェン家)赤ヒゲのフリードリヒ皇帝が壊してしまった後に建てられたものなのだそうです。いくら皇帝だからと言って、大聖堂ごと町を壊してしまうなんて、なんて恐ろしいんでしょう。まあ、だからこそ彼は周囲から勇猛果敢と恐れられらのでしょうけど・・・。 さてこのドゥオモには、スポレートで亡くなった画家フィリッポ・リッピの墓があります。彼はこのドゥオモ内部の壁画(フレスコ画)を描いており、どの縁もありここに埋葬されたのでしょう。この墓は、息子のフィリッピーノ・リッピがデザインし、フィレンツェの無名の彫刻家が手がけたものです。
![]() 塔の橋 ロッカ通りも、旧市街と反対側に来ると周囲の風景がガラリと変わってきます。町の様子などは一切目に入らず、豊かな自然の緑色が目の前に飛び込んできます。そして、かなりの水量が流れている水の音が聞こえてきます。肝心の川の流れは、あまりにも緑が深いために確認することは出来ないが、その水の流れる音は周囲の緑色と溶け込んで、心をリラックスさせてくれます。 更に進むと今度は、緑の木々の間に巨大な建造物が出現します。これは眼下を流れるテッシーノ川の上にかかる塔の橋(Ponte delle Torri) ![]() この橋は歩いて渡ることが出来るので、極度の高所恐怖症でない人は渡ってみると良いでしょう。ただ、高いところが苦手な人は止めておきましょう。道幅は狭く、しかも歩き慣れない砂利道で不安を感じる上に、柵や手すりに類するものがあることはあるのですが、とても背が低く、簡単に落っこちてしまいそうです。高いところが苦手だと、真っ直ぐ歩くことさえ大変なのに、所々犬の糞が転がっていて、真っ直ぐさえ歩けなかったりします。高いところがそれ程苦手でなくても、橋の上から下の川を覗くと足がすくむくらいです。 ただ、橋の上からは結構良く城塞 ![]() 城塞 ちなみにこの城塞、町で一番標高の高いところに建設されているので、立地は抜群。そもそもは、スポレートにおけるローマ教皇支配を強化する目的で、15世紀にアルポルノス枢機卿がガッタポーネに設計を依頼して建てられました。多くの歴代の教皇達も、かつてはここに滞在したそうなのですが、ローマ教皇の支配力が弱まると共に利用されなくなり、18世紀には廃墟となってしまいました。その後の城塞の運命は決して輝かしいとは言えず、兵舎として利用されたり、イタリア統一後には刑務所として利用されていたりしました。その過程で痛みが激しくなり、現在は修復作業が進められています。
サン・ピエトロ教会 サン・ピエトロ教会(San Pietro) ![]() ![]() サン・サルヴァトーレ教会 サン・サルヴァトーレ教会(San Salvatore) ![]() |
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