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ピエンツァは、シエナの南、モンテプルチャーノとサン・クイリコ・ドルチアの間、トスカーナの雄大なパノラマを見晴らせる小高い丘の頂上に建てられたとても小さな町です。丘の上に建設された小さな町ということでは周辺の他の町と全くかわりませんが、ピエンツァの町が異なる大きな点は、この町がローマ教皇ピウス二世の命によってルネッサンス期に新しく誕生した「理想郷」であるという点です。
最も便利なアクセス手段は、自分で車を運転することです。シエナから南に延びる幹線道路上に位置しているので、アクセス条件は比較的良いといえます。また、イタリアを南北に縦断する高速道路「A1」線のインターチェンジ、ヴァル・ディ・キアーナ(Val di Chiana)やキウージ(Chiusi)からもそれほど遠くないので、やはりアクセス条件は良いといえます。 また車でのアクセスは、便利というだけでなく、運転をする道路の周りの風景のすばらしさを堪能することが出来るという点からもお勧めできます。周辺の道路には、車の数もまばらで、思わず脇見運転をしたくなるような風景が広がっています。写真を撮れば、その写真のどれもが絵はがきになってしまうような、トスカーナの田園風景なのです。幹道をはずれてちょっと脇道のそれても大丈夫、むしろわざと脇道を通り遠回りしたくなる、そんなところです。
その様な町の運命が突如として動き始めたのが1458年、1405年にこの地に生まれたエネア・シルヴィオ(Enea Silvio)がピウス二世としてローマ教皇の地位についたことにその端を発します。ピウス二世は、人文主義者ウマニスタと呼ばれており、当時のかなりの知識人で多くの書物を著した文人教皇であったとされています。そのピウス二世は、先ずコルシニャーノという町の名前を、現在の「ピエンツァ」へと改名し、三年計画で小さな田舎町を、自分の理想の都市に作り替えようとしたのです。ピウス二世の命を受け、その設計にあたったのがルネッサンスを代表する建築家の一人、ベルナルド・ロッセッリーノ(Bernardo Rossellino)です。 ロッセッリーノは、教皇の深い学識をこの町に反映させ、15世紀の人文主義文化の理想郷を作り上げようとしたのでした。ただ残念ながら1461年のピウス二世とロッセッリーノの死によって、理想郷は最後まで完成することは出来ませんでした。しかし未完成とはいえ、当時の理想都市に限りなく近い形で残っており、二人の目指した「理想郷」を現在でも私達は見ることが出来るのです。
ピオ二世広場 町の中心部に位置しており、かつ町の中で最も高いところに位置しているピオ二世広場(Piazza Pio II) ![]() ヘンリーボーン状に舗装された石畳を床に見立て、広場の正面に建つ大聖堂、ピッコローミニ館、司教館、市庁舎が壁で、天空を屋根に見立てた結果、広場全体が創り出す空間を屋敷における「広間」としてみごとに演出しているのです。確かに、広すぎず、狭すぎず、ちょうど良い大きさをしたこの広場に立ってみると、どこかのお屋敷の「広間」に通されたような気分になりそうです。ちなみに、広場を取り囲む建物のうち、大聖堂とピッコローミニ館は、都市改造計画総指揮者ロッセッリーノの手による作品です。 大聖堂 広場の奥、南側に面して建てられているのが、聖母マリアが奉られている大聖堂(Cattedrale) ![]() この多角形状の後陣は、脇に建つ鐘楼と共に、町の外から見る ![]() ピッコローミニ館 大聖堂の右手、広場の東に面して建てられているのが、井戸を備えたピッコローミニ館(Palazzo Piccolomini) ![]() 町の改築にあたって責任者ロッセッリーノは、本当は50,000ドゥカーティ以上の費用が必要なのにも関わらず、18,000ドゥカーティという少ない見積りを提出していたそうです。当然費用は足りないのですが、ピウス二世はロッセッリーノに「完成させてみよ。」という言葉をかけ、予算オーバーにも関わらず都市改造はスタートしたそうなのです。現在のピエンツァの美しい街並みを眺められるのも、このピウス二世の寛容な態度があったからこそかもしれません。 現在内部は、ガイド付で見学することが出来ます。そこでは、調度品や武器、絵画、遺品、そして15世紀の様子をとどめたままの状態をした居間、食堂、図書館などの各部屋を見ることが出来ます。見学の途中、バルコニーからは、館の庭園とその先に続くトスカーナの田園風景という素晴らしいパノラマ ![]() 市庁舎と司教館 広場の周りには、ロッセッリーノの手ではないにしても、他にも素晴らしい建物が立ち並んでいます。大聖堂の向かい側、広場の北に面して市庁舎(Palazzo Pubblico) ![]() ロッセッリーノ大通り 東のチリオ門ロッセッリーノ大通り(Corso Rossellino)は、この町の東の門であるチリオ門(Porta al Ciglio)と、西の門であるムレッロ門(Porta al Murello) ![]() 現在ではお土産屋さんやレストランなどが立ち並び、 町の中で最も賑わいを見せている通りです。近くで生産されるものが多く売られているので、見ているだけでもとっても楽しいものです。
さて、もしこの通りに来たら、田園風景と反対の町側にもちょっとだけ注意してみて下さい。カステッロ通りから目抜き通りのロッセッリーノ通りにつながる細いとおりがあります。この通りの名前がとてもユニークなのです。広場に近い方から、フォルトゥーナ通り(via della Fortuna) ![]() ![]() ![]() フォルトゥーナは「幸運」、アモーレは「愛」、バッチオは「キス」という意味のイタリア語です。その順番といい、何とも洒落っ気のある通りの名前ですよね。 |
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