ピエンツァの町 全都市表示 サイトマップ トップへ

ピエンツァ

ピエンツァ

 ピエンツァは、シエナの南、モンテプルチャーノとサン・クイリコ・ドルチアの間、トスカーナの雄大なパノラマを見晴らせる小高い丘の頂上に建てられたとても小さな町です。丘の上に建設された小さな町ということでは周辺の他の町と全くかわりませんが、ピエンツァの町が異なる大きな点は、この町がローマ教皇ピウス二世の命によってルネッサンス期に新しく誕生した「理想郷」であるという点です。


■ピエンツァの行き方
 ピエンツァへのアクセスは、公共の交通機関を使おうと思ったら不便かも知れません。その手段はバスに限られるからです。バスによるアクセスは、シエナからとモンテプルチャーノからがあるようですが、それほど便数も多くないので、バスを利用しようと思ったら良く調べてから利用した方が良さそうです。
 最も便利なアクセス手段は、自分で車を運転することです。シエナから南に延びる幹線道路上に位置しているので、アクセス条件は比較的良いといえます。また、イタリアを南北に縦断する高速道路「A1」線のインターチェンジ、ヴァル・ディ・キアーナ(Val di Chiana)やキウージ(Chiusi)からもそれほど遠くないので、やはりアクセス条件は良いといえます。
 また車でのアクセスは、便利というだけでなく、運転をする道路の周りの風景のすばらしさを堪能することが出来るという点からもお勧めできます。周辺の道路には、車の数もまばらで、思わず脇見運転をしたくなるような風景が広がっています。写真を撮れば、その写真のどれもが絵はがきになってしまうような、トスカーナの田園風景なのです。幹道をはずれてちょっと脇道のそれても大丈夫、むしろわざと脇道を通り遠回りしたくなる、そんなところです。


■ピエンツァの歴史
 ピエンツァの町は、かつてはコルシニャーノ(Corsignano)と呼ばれており、アミアータ山の大修道院がこの町を所有していたそうです。その後に自治都市のシエナ、そしてピッコローミニ家の領土となっていくというような、周囲に常に影響を受けながら歴史を過ごしてきた町であると言えます。
 その様な町の運命が突如として動き始めたのが1458年、1405年にこの地に生まれたエネア・シルヴィオ(Enea Silvio)がピウス二世としてローマ教皇の地位についたことにその端を発します。ピウス二世は、人文主義者ウマニスタと呼ばれており、当時のかなりの知識人で多くの書物を著した文人教皇であったとされています。そのピウス二世は、先ずコルシニャーノという町の名前を、現在の「ピエンツァ」へと改名し、三年計画で小さな田舎町を、自分の理想の都市に作り替えようとしたのです。ピウス二世の命を受け、その設計にあたったのがルネッサンスを代表する建築家の一人、ベルナルド・ロッセッリーノ(Bernardo Rossellino)です。
 ロッセッリーノは、教皇の深い学識をこの町に反映させ、15世紀の人文主義文化の理想郷を作り上げようとしたのでした。ただ残念ながら1461年のピウス二世とロッセッリーノの死によって、理想郷は最後まで完成することは出来ませんでした。しかし未完成とはいえ、当時の理想都市に限りなく近い形で残っており、二人の目指した「理想郷」を現在でも私達は見ることが出来るのです。


■ピエンツァの見どころ
 ピエンツァの町は、とっても小さな町です。町を東西に貫通する目抜き通りの長さが400m程度なので、町を一周するのも、歩いてまわるだけでも一時間もかかりません。更に見どころもほぼ一ヶ所に集中しているために、一日中この町にいるというよりは、周囲の町と併せた観光プランを立てた方がよいかも知れません。

ピオ二世広場
 町の中心部に位置しており、かつ町の中で最も高いところに位置しているピオ二世広場(Piazza Pio II)は、ロッセッリーノの都市改造によって新しく生まれかわった場所です。昔は中世の町の広場があったそうですが、これを広範囲に渡って取り壊し、広場を台形の形に作り替えたのです。広場の設計の際には、バッティスタ・アルベルティの「建築論」や様々なルネッサンス作品から影響を受けた透視図法の基準に乗っ取って設計がされており、実に調和の取れた空間に仕上がっています。
 ヘンリーボーン状に舗装された石畳を床に見立て、広場の正面に建つ大聖堂、ピッコローミニ館、司教館、市庁舎が壁で、天空を屋根に見立てた結果、広場全体が創り出す空間を屋敷における「広間」としてみごとに演出しているのです。確かに、広すぎず、狭すぎず、ちょうど良い大きさをしたこの広場に立ってみると、どこかのお屋敷の「広間」に通されたような気分になりそうです。ちなみに、広場を取り囲む建物のうち、大聖堂とピッコローミニ館は、都市改造計画総指揮者ロッセッリーノの手による作品です。

大聖堂
 広場の奥、南側に面して建てられているのが、聖母マリアが奉られている大聖堂(Cattedrale)です。大聖堂はロッセッリーノの手により、1459年から62年にかけて、かつてのロマネスク様式の教区教会のあった場所に建てられました。ファザードの円柱に支えられているアーチ型の3つの部分の上には、この町の領主ピッコロミーニ家の紋章が施されています。内部は、ピウス二世がヨーロッパを旅行したときに称賛した、ドイツの「ハレンチルヒエン」形式に着想を得て、ラテン十字型をしています。後陣部は、礼拝堂がその周りを放射状にとりまいて多角形をしています。
 この多角形状の後陣は、脇に建つ鐘楼と共に、町の外から見ると、城壁の上に立っていることが良く見えます。ピエンツァの町が丘の上に立っていることもあり、とても良く目立ち、まさにこの町のシンボル的な存在となっているといえます。

ピッコローミニ館
 大聖堂の右手、広場の東に面して建てられているのが、井戸を備えたピッコローミニ館(Palazzo Piccolomini)です。この館の主は、ピウス二世を輩出した、ピエンツァの領主ピッコロミーニ家です。ロッセッリーノによる代表的な建築物で、アルベルティが設計しロッセッリーノが建築した、フィレンツェのルッチェライ館に着想を得ています。ピウス二世は、改築中のピエンツァの町を視察し、自分の館にやってきた時「建築物の美しさと威容は、痛い出費を帳消しにする。」という言葉をラテン語で残したそうです。そしてこの言葉の背景には、次のような事情があったようです。
 町の改築にあたって責任者ロッセッリーノは、本当は50,000ドゥカーティ以上の費用が必要なのにも関わらず、18,000ドゥカーティという少ない見積りを提出していたそうです。当然費用は足りないのですが、ピウス二世はロッセッリーノに「完成させてみよ。」という言葉をかけ、予算オーバーにも関わらず都市改造はスタートしたそうなのです。現在のピエンツァの美しい街並みを眺められるのも、このピウス二世の寛容な態度があったからこそかもしれません。
 現在内部は、ガイド付で見学することが出来ます。そこでは、調度品や武器、絵画、遺品、そして15世紀の様子をとどめたままの状態をした居間、食堂、図書館などの各部屋を見ることが出来ます。見学の途中、バルコニーからは、館の庭園とその先に続くトスカーナの田園風景という素晴らしいパノラマを楽しむことが出来ます。

市庁舎と司教館
 広場の周りには、ロッセッリーノの手ではないにしても、他にも素晴らしい建物が立ち並んでいます。大聖堂の向かい側、広場の北に面して市庁舎(Palazzo Pubblico)が建てられており、ピッコローミニ館の向かい側、広場の東に面して、かつてボルジア館であった、司教館(Palazzo Vescovile)が建っています。これらの建物は、アンマンナーティ館(Palazzo Ammannati)やジュフロア館(Palazzo Jouffroy)、ゴンザガ館(Palazzo Gonzaga)と共に、かつてはローマ教皇庁のトップであった枢機卿たちが所有する館でした。

ロッセッリーノ大通り
 東のチリオ門ロッセッリーノ大通り(Corso Rossellino)は、この町の東の門であるチリオ門(Porta al Ciglio)と、西の門であるムレッロ門(Porta al Murello)の間をつなぎ、東西に貫く目抜き通りであり、ロッセッリーノの都市計画の成果ともいえるルネッサンス様式の館が立ち並んでいます。先ほど紹介した、枢機卿が所有した館もこの通りに沿って建てられています。
 現在ではお土産屋さんやレストランなどが立ち並び、 町の中で最も賑わいを見せている通りです。近くで生産されるものが多く売られているので、見ているだけでもとっても楽しいものです。


■こぼれ話
 ピオ二世広場から、大聖堂と司教座聖堂参事会員の家(Casa dei Canonici)の間から続いている道が、カステッロ通り(via del Castello)です。この道は城壁の上を歩くような形の歩行者専用の通りで、そこから見ることが出来るオルチア渓谷の田園風景はとても素晴らしいものです。是非とも散策したい通りでもあります。
 さて、もしこの通りに来たら、田園風景と反対の町側にもちょっとだけ注意してみて下さい。カステッロ通りから目抜き通りのロッセッリーノ通りにつながる細いとおりがあります。この通りの名前がとてもユニークなのです。広場に近い方から、フォルトゥーナ通り(via della Fortuna)アモーレ通り(via dell'Amore)バッチオ通り(via del Bacio)と続いています。
 フォルトゥーナは「幸運」、アモーレは「愛」、バッチオは「キス」という意味のイタリア語です。その順番といい、何とも洒落っ気のある通りの名前ですよね。

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