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モンタルチーノ

モンタルチーノ

 モンタルチーノは、オルチア渓谷、アルビア渓谷、オンブローネ渓谷に挟まれた丘の頂上に建てられた小さな町です。町自体は非常に小さいですが、イタリアワインのことを少しでも知っている人ならすぐにでも思い出すことができる偉大な赤ワイン、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ(Brunello di Montalcino)の生産地として非常に有名な町です。丘の上にある町から周囲を見渡すとそこにはブドウ畑が広がり、町の中に目を移すとあちこちではワインが売られており、モンタルチーノの町にいるとまさにワインの町であることが実感できます。
 ともすると「モンタルチーノ=ワインだけ」と思いがちですが、中世にシエナ共和国の一都市として発展し、そしてシエナ共和国最後の地となった町の歴史を今に残す数々の見どころが町に散らばっています。


■モンタルチーノの行き方
 モンタルチーノへのアクセスは、公共の交通機関を使おうと思ったらやや不便かもしれません。公共交通機関でのアクセスはバス、しかもシエナからの便に限られるからです。シエナに滞在する場合は、バスで一本で行けるために、旅行プランに容易に組み入れられますが、そうでない場合はちょっと面倒くさそうですね。
 車を運転してのアクセスは比較的容易で、高速道路を使ってくる場合は、フィレンツェ=ローマ間をつなぐ「A1」のヴァル・ディ・キアーナ(Val di Chiana)かキウージ(Chiusi)のインターを下りて、ピエンツァ経由でアクセスできますし、その反対方面からであればシエナを経由してアクセスすることが出来ます。モンタルチーノ近辺の丘陵地帯は、旅行パンフレットや絵はがきの写真でよく見る、トスカーナの田園風景が広がっており、運転していてもとても快適に時間を過ごすことが出来ます。周辺の小さな町も併せ見ることもでき、もちろん交通渋滞と無縁となると、出来るなら車を運転して行きたい地域でしょう。そうすれば旅行プランの自由度も一段と増えますから


■モンタルチーノの歴史
 モンタルチーノは、シエナと深い関係にある町です。この関係は、13世紀初頭にモンタルチーノの主権を巡って、シエナとフィレンツェの間に起こったの争いに始まりました。そして皇帝派であるシエナ側の勝利のうちに終わった、1260年9月4日の「モンタペルティの戦い」の後に、モンタルチーノの町はシエナ共和国の要所として栄えていきました。
 当のシエナ共和国は、1526年より教皇派であるフランスのクレメンス7世、スペインのカール5世、トスカーナ公国のメディチ家コジモ一世らによって率いられた連合軍に包囲され、ついに1555年に降伏してしまいました。
 この降伏をよしとしない一部のシエナ軍はモンタルチーノに逃れて「モンタルチーノにおけるシエナ共和国」を樹立しました。しかし4年後の1559年、フランス・スペインとの条約の締結によりシエナ共和国の終焉を迎えました。1555年にシエナから逃れてきた650もの家族は、ピエトロ・ストロッツィによって率いられて最後の抵抗を示したのですが、結局は時代の趨勢には勝てなかったのです。この「シエナ共和国」は、結果的にイタリア半島における最後の共和国となってしまいました。
 モンタルチーノに今でも残っている要塞は、シエナ共和国の最後の砦となった証なのです。そしてその証のように、ここには今でもシエナ共和国の旗が掲げられています。


■モンタルチーノの見どころ
 モンタルチーノの町は小さな町なので、半日も歩けば見どころは大体見て回れるくらいです。ただ、丘の上に建てられた町なので、坂道や階段といったアップダウンがあるので、あまり急いで歩いていると疲れてしまうかもしれません。あまりあくせく動きまわらないで、のんびりと田舎の静かな町を散策するような気分で歩いてみると、結構楽しいかも知れません。

町の中心部
 町のほぼ中心部分にあるポポロ広場(Piazza del Popolo)に面して建てられている高い塔を伴った建物が市庁舎(Palazzo Comunale)です。13〜14世紀頃に作られた、シエナの影響を色濃く受けた建築物の代表的存在と評されています。ポポロ広場とマッテオッティ通りの間にある前廊部分には、モンタルチーノがトスカーナ公国に併合された後、16世紀に制作されたメディチ家のコジモ一世の像が建てられています。
 ちなみにポポロ広場から右方向に回り込んだ側面には、ツーリストインフォメーションがあります。日本で入手できるモンタルチーノの情報は、結構少なかったりするので、より詳しい情報が欲しい方は入ってみましょう。地図なども入手することが出来ます。

町に残された教会
 町の中心に位置している、市庁舎の裏手にあるガリバルディ広場に面して、建っている教会はサンテジディオ教会(Sant'Egidio)です。建物自体は14世紀に建てられた、飾りっ気のない質素な建物ですが、内部にはシエナの各地区ごとの旗が納められており、このモンタルチーノがかつてシエナ共和国の首都機能が移されてきたことを物語っています。
 近くのリカソーリ通り沿いに建っているサンタゴスティーノ教会(Sant'Agostino)は、サンテジディオ教会と同じ14世紀に建てられた教会です。こちらの教会も全体的に見ると、飾りっ気のない質素な建物ですが、ファザードに取り付けられた大理石製の入口とバラ窓は、周囲が質素な分、浮き出るように美しく見えます。大理石の中に見られる縞模様に彩られた装飾からも、シエナのゴシックスタイルの影響を伺うことが出来ます。内部は、シエナ派の画家によるフレスコ画で彩られているのですが、痛みが激しくなかなか往年の姿を想像するのは難しいかもしれません。
 丘の上の町にあって、その中でも高い位置に建てられているのが、この町のドゥオモです。1000年頃に建設されたためか、ファザードの前には円柱に支えられた回廊があるという、この地方にしてはちょっと珍しいスタイルです。多くの町のドゥオモの前は、ドゥオモ広場となっており広いスペースがあるのですが、ここのドゥオモは道が通っているだけで、その限られたスペースからファザードと鐘楼を仰ぎ見るような格好になるので、ちょっと迫力があります。
 ドゥオモからさらに町の外れに進んでいくと、広い道に面して建てられているマドンナ・デル・ソッコルソ教会(Madonna del Soccorso)が見えてきます。この教会は、モンタルチーノの町にあって比較的新しい教会で、トスカーナ公国時代の1600年に建てられた教会です。そのため他の教会とは若干異なる感じがします。

町のランドマーク「城塞」
 モンタルチーノに到着して、我々を迎えるように目に入ってくる大きな建造物が城塞(Rocca)です。町の周りの交通を見通すことが出来る町の先端に位置しており、威圧感すら感じる石積みの建造物は、存在感満点です。
 五つの塔がそれぞれを結んで出来た五角形のこの城塞は1361年にシエナ軍によって築かれ、1559年にシエナ共和国が消滅するまでの200年間、シエナ共和国を守り続けた砦でした。その力強い姿は、頑なまでに共和国の自主性を守り続けようとしたシエナの人々の精神を表している様な気すらしてきます。そんな城塞もトスカーナ公国併合後は、一角にトスカーナ大公家であるメディチ家の家紋とりつけられ、メディチ家の存在感を示すような存在になっているとは、何とも皮肉的なことでしょう。
 現在は、入場料さえ払えばこの五つの塔に登ることが出来ます。塔の頂上からはモンタルチーノの町と、その周囲に広がる田園風景を一望することが出来ます。塔を上る階段(というよりは梯子)が狭いので、動きやすい服装と靴でないと厳しいかも知れませんが、塔の上は爽快そのものです。
 また城塞の内部にはエノテカがあり、この町を代表するワインを試飲したり、ワイン貯蔵庫でねかされてきたワインを購入することが出来ます。塔に登るよりも、ワイン目当ての人も結構城塞の中にはいらっしゃるようでした。


■サンタンティモ大修道院
 モンタルチーノの町から南へ約八キロ程行った人里離れたところ。糸杉やブドウやオリーブの木に彩られたトスカーナ地方ならではののどかな田園風景が続く中に、この大修道院が突如として現れます。
 サンタンティモ大修道院(Abbazia di Sant'Antimo)は、かつてベネディクト会の主要な修道院であったのだが、13世紀には衰退し始め、1462年にはついに廃院となってしまいました。そして、1870年に修復作業が始まるまでは廃墟として荒れ放題になっていたそうです。
 修復が始まったとはいえ、ファザードの装飾は一部を残して失われていたり、内部の石材がむき出しのままになっていたりと、まだまだ修復が万全といえる状況にはなさそうです。装飾美という点での修復はまだまだといえそうですが、太陽の光を浴びて金色に輝く積み上げられた石材のオニキスが作る造形美といった点ではだいぶ本来の形になっているのではと感じます。
 812年以降は残された資料によりその存在が確認されている修道院ですが、伝説によると781年に神聖ローマ帝国の皇帝となったカール大帝によって創建されたそうです。そんな伝説もある修道院は、1870年から始まった修復により、現在では修道院としての機能を回復して活動をしています。

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