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レッチェ=バロック様式の建築であまりにも有名な町、レッチェ。プーリア州レッチェ県の県庁所在地にして、サレント半島の中心部の卓状地の上に位置する、プーリア州第三の都市です。
旧市街はそれ程大きくはないので、レッチェ=バロックを楽しみながら、ゆっくりと歩いてまわりたいものです。そうして歩き町の雰囲気を感じることで、かつての歴史家が「バロックのフィレンツェ」と称したことを理解することが出来るでしょう。 ドゥオモ広場 レッチェ旧市街地のほぼ中心に位置し、最も目を引く記念碑的な建築が並ぶところがドゥオモ広場(Piazza Duomo) ![]() 古代ローマ都市の南北・東西の軸となる基幹道路が交差する地点にあったフォロ(広場)を受け継いで、中世以降に聖域的な役割を果たしたこの広場は、17世紀後半に建て替えられたバロック様式の建築で囲われており、南イタリアでも最も美しい広場の一つに数えられています。 左右対称に造形された北からの広場入口に立つと、正面左にドゥオモ、その奥右に15世紀に建てられ1632年に再建された司教館(Palazzo Vescovile)、手前右手にジュゼッペ・チーノ設計で1694〜1709年にかけて建てられた神学校(Seminario)、左に鐘楼が見え、遠近法の効果を強く感じられる空間となっています。中世には店が並んだり位置が立っていたりしたようですが、そのうちに排除されてしまい、完全に聖なる空間として位置付けられ、バロックにふさわしい演劇や宗教的儀式が行われるようになったそうです。 旧市街の歩行者空間化が広い範囲で実現しているために、ドゥオモ広場の周りの道にはいつも人通りが多くにぎわっています。ただ、ドゥオモ広場自体は厳粛な宗教広場の色彩が強いようで、日常的に市民が集うという感じではありません。むしろ市民の憩い場的な役割は、市庁舎のあるサントロンツォ広場の方にあるようです。 ドゥオモ ドゥオモ広場の入口から正面に位置するドゥオモ(Duomo)は、1659〜1670年にかけてジュゼッペ・ジンバロによって建てられたもので、彼の傑作といわれています。特にその芸術性は、左側面のファザードと鐘楼に現れているといわれています。左側面のファザード ![]() ![]() サンタ・クローチェ聖堂 1548年、礼拝堂跡にガブリエレ・リッカルディが着工し、1646年、ドゥオモの設計者でもあるジュゼッペ・ジンバロとチェーザレ・ペンナによって完成されたサンタ・クローチェ聖堂(Santa Croce)は「レッチェ=バロックの至高の体現」と言われ、イタリア中に知られているこの聖堂は、特にその外観の装飾に特徴がある。ファザード全体 ![]() ロザリオ教会 ドゥオモ広場の入口の前の通りを真っ直ぐ西に向かい、旧市街地の外れまで進むと、そこに建っているのがロザリオ教会(Chiesa del Rosario) ![]() サントロンツォ広場 町の中心部にあるサントロンツォ広場(Piazza Sant Oronzo)は、その名前の由来をこの町の守護聖人、聖オロンツォにはっしています。そして広場の一角にある円柱 ![]() 広場の南側にはローマ時代の円形競技場(Anfiteatro) ![]() サン・マッテオ教会 レッチェの迷宮空間の中に挿入されたバロック聖堂は、その前に大きな広場を持っていないことが多いのです。ただこの空間の制約を逆手にとって、狭い路地を進むと、突然美しいバロック様式の聖堂のファザードが目に飛び込んでくるような、効果満点の演出が随所になされています。1667〜1700年にかけて建築されたサン・マッテオ教会(San Matteo) ![]() レッチェ=バロック建築の神髄は、街路や広場に向かって表現される、繊細にして、流動性に富む装飾性にあるようです。 サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会 旧市街地の北西の端にある凱旋門(Arco di Trionfo) ![]() ![]() 12世紀末にこの教会を建築させたのはレッチェ伯タンクレディだそうで、ファザード扉口とバラ窓はロマネスク様式で、上部の装飾は1716年にジュゼッペ・チーノがバロック様式を基調として手を加えてものとなっています。
街路の曲がりや歪み不規則な交差点の街角など、場所の特徴を生かして、そこにしかない個性のある空間の演出がなされているのです。 |
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