レッチェの町 全都市表示 サイトマップ トップへ

レッチェ
Lecce

 レッチェ=バロック様式の建築であまりにも有名な町、レッチェ。プーリア州レッチェ県の県庁所在地にして、サレント半島の中心部の卓状地の上に位置する、プーリア州第三の都市です。
 町の起源は古代ローマ帝国時代の「ローマ人の町ルピアエ」に始まり、その後東ローマ帝国、ノルマン朝、ホーエンシュタウフェン朝、アンジュー家、スペイン支配と様々な支配のもと、はじめは碁盤の目のように直線的都市構造であったのが、次第に変容し、地中海世界独自の複雑に入り組んだ迷宮的な都市空間を持つようになったそうです。そしてこの迷宮的な構造をベースにしながら、華麗なるバロックに変身を遂げた景観こそが、現在のレッチェの最大の見どころと言えるでしょう。ローマのバロックが貫通する直線による男性的原理なのに対して、迷路のような街路網の中に華麗に造形されたレッチェのバロックは、あたかも胎内を巡るようで女性原理であると考えられています。

■レッチェの見どころ
 レッチェの見どころは、なんといってもバロックです。そのバロック様式の建築が集まっているのが、町の中心部の旧市街地なので、必然的にまわるべきところは決まってきます。
 旧市街はそれ程大きくはないので、レッチェ=バロックを楽しみながら、ゆっくりと歩いてまわりたいものです。そうして歩き町の雰囲気を感じることで、かつての歴史家が「バロックのフィレンツェ」と称したことを理解することが出来るでしょう。

ドゥオモ広場
 レッチェ旧市街地のほぼ中心に位置し、最も目を引く記念碑的な建築が並ぶところがドゥオモ広場(Piazza Duomo)です。
 古代ローマ都市の南北・東西の軸となる基幹道路が交差する地点にあったフォロ(広場)を受け継いで、中世以降に聖域的な役割を果たしたこの広場は、17世紀後半に建て替えられたバロック様式の建築で囲われており、南イタリアでも最も美しい広場の一つに数えられています。
 左右対称に造形された北からの広場入口に立つと、正面左にドゥオモ、その奥右に15世紀に建てられ1632年に再建された司教館(Palazzo Vescovile)、手前右手にジュゼッペ・チーノ設計で1694〜1709年にかけて建てられた神学校(Seminario)、左に鐘楼が見え、遠近法の効果を強く感じられる空間となっています。中世には店が並んだり位置が立っていたりしたようですが、そのうちに排除されてしまい、完全に聖なる空間として位置付けられ、バロックにふさわしい演劇や宗教的儀式が行われるようになったそうです。
 旧市街の歩行者空間化が広い範囲で実現しているために、ドゥオモ広場の周りの道にはいつも人通りが多くにぎわっています。ただ、ドゥオモ広場自体は厳粛な宗教広場の色彩が強いようで、日常的に市民が集うという感じではありません。むしろ市民の憩い場的な役割は、市庁舎のあるサントロンツォ広場の方にあるようです。

ドゥオモ
 ドゥオモ広場の入口から正面に位置するドゥオモ(Duomo)は、1659〜1670年にかけてジュゼッペ・ジンバロによって建てられたもので、彼の傑作といわれています。特にその芸術性は、左側面のファザードと鐘楼に現れているといわれています。左側面のファザードは、最上部に一種の凱旋門を作り、その中にこの町の守護聖人でもある聖オロンツォの像をおいています。1661〜1682年にかけて建築された鐘楼は、段々と先が細くなりそれぞれの層に窓を持つ五層構造で、最上層には八角形の小礼拝堂がおかれています。

サンタ・クローチェ聖堂
 1548年、礼拝堂跡にガブリエレ・リッカルディが着工し、1646年、ドゥオモの設計者でもあるジュゼッペ・ジンバロとチェーザレ・ペンナによって完成されたサンタ・クローチェ聖堂(Santa Croce)は「レッチェ=バロックの至高の体現」と言われ、イタリア中に知られているこの聖堂は、特にその外観の装飾に特徴がある。ファザード全体をこれ程までに彫刻や浮彫で飾りたてた華やかな建築は、イタリアでもきわめて珍しいです。グロテスクな動物像や象徴的な人身像に支えられて飛び出したバルコニーには、寓話を込めた13体の小さな子供の手すりが付いています。

ロザリオ教会
 ドゥオモ広場の入口の前の通りを真っ直ぐ西に向かい、旧市街地の外れまで進むと、そこに建っているのがロザリオ教会(Chiesa del Rosario)です。上で紹介したドゥオモやサンタ・クローチェ聖堂を手がけたジュゼッペ・ジンバロ晩年の最後の作品(1691年)で、過剰とも感じられる装飾に覆われているのが特徴です。

サントロンツォ広場
 町の中心部にあるサントロンツォ広場(Piazza Sant Oronzo)は、その名前の由来をこの町の守護聖人、聖オロンツォにはっしています。そして広場の一角にある円柱の上には、広場の由来ともなっている町の守護聖人が置かれています。ちなみにこの円柱は、アッピア街道の終点を示す一本の円柱を使ったもので、1666年にジュゼッペ・ジンバロの作なのです。この円柱が建てられたのは、1656年のペスト流行時にかけられた願にもとづいて建てられたそうです。
 広場の南側にはローマ時代の円形競技場(Anfiteatro)がその姿を見せています。この町のローマ時代の建造物の中では最も保存状態が良く残っています。建設された時期には諸説があり、2世紀という説が最も有力らしいが、アウグストゥス帝の時代という説もあるらしい。

サン・マッテオ教会
 レッチェの迷宮空間の中に挿入されたバロック聖堂は、その前に大きな広場を持っていないことが多いのです。ただこの空間の制約を逆手にとって、狭い路地を進むと、突然美しいバロック様式の聖堂のファザードが目に飛び込んでくるような、効果満点の演出が随所になされています。1667〜1700年にかけて建築されたサン・マッテオ教会(San Matteo)はそのような教会の代表で、下層部を凸型の曲線、上部を凹型の曲線という非対称の外観が突然目の前に現れ、歩行者をびっくりさせています。この構成は、ローマのボッロミーニ設計によるサン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ聖堂からの影響を受けているようです。しかし内部に入ると楕円形のプランであるが、流動間にあふれるローマ=バロックのような空間は見られません。
 レッチェ=バロック建築の神髄は、街路や広場に向かって表現される、繊細にして、流動性に富む装飾性にあるようです。

サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会
 旧市街地の北西の端にある凱旋門(Arco di Trionfo)は、別名ナポリ門とも言われていて、1548年にカール5世をたたえて建設されたものらしく、王の紋章が掲げられています。この門をくぐり、花屋が立ち並ぶ道を直進すると墓地に入ります。そう、サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会は現在の墓地の敷地内にあるのです。
 12世紀末にこの教会を建築させたのはレッチェ伯タンクレディだそうで、ファザード扉口とバラ窓はロマネスク様式で、上部の装飾は1716年にジュゼッペ・チーノがバロック様式を基調として手を加えてものとなっています。

■最後に
 レッチェでは街路にまるで舞台装置のような演出が、所々にされていました。ところがこれらの建築上の工夫は、公の権力による大がかりな都市計画によるものではなく、それぞれの建物の所有者が思い思いに自分の建物を飾り、街路の演劇性を高めた結果だと言うから驚きです。
 街路の曲がりや歪み不規則な交差点の街角など、場所の特徴を生かして、そこにしかない個性のある空間の演出がなされているのです。

本サイトに掲載されている画像や文章など、全てのコンテンツの無断転載及び引用を禁止します