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南部特有の強い日差しを受け、青い空に白い家々と、まるでおとぎの国に来たような錯覚に陥ってしまうような町、アルベロベッロ。建物の間を縫うように広がる道路は、迷路のように入り組み、その迷路を楽しむように歩いていると、フッと思いがけず小さなおみやげもの屋さんがあったり、おいしそうなリストランテを見つけたり、時にはごくフツーの家庭の生活をかいま見られたりと、普段の日常に意外性を発見できるようなところです。小さな田舎町ならではのゆっくりした時間の流れも、疲れた旅行者にとっては心地いいものかもしれませんね。
この独特の建物は、15世紀にまで歴史をさかのぼることができます。当時のこの地方の領主は、自分の所領内に「建物」を作ることを禁じていました。しかし、やっぱり住むべき建物は必要なために、農民達は考えた結果、見回りの管理人が来たらすぐに取り壊せるような建物を作ることを考案しました。その建物は、土台も骨組みもなく、積み石をモルタルで固めない、「キアンカレッレ」という平たい石を円錐状に積んだ屋根を持つ小屋でした。これが、現在のトゥルッリの起源と言われています。農民達は、この小屋を作り続け、やがて地代と一定の賦役を条件にこの小屋の建築が認められるようになりました。すると農民達は、この方式で小屋ではなく住居を作ろうとし、それを良く思わない領主との間で争いが起こったのです。現在も残るコンヴェルサーノ伯の館の主であった人は、この争いに終止符が打たれるまでずっと、農民達と「トゥルッリ」闘争を続けた人物でした。この両者の争いは18世紀まで続いたのですが、ついにはこの争いに終止符を打つ人物が現れました。それは、当時南イタリアを支配していたブルボン家のフェルナンド4世です。彼が地方巡行をすることになった時の道中に、この町での領主と農民達との長年に渡る争いを耳にしたフェルナンド4世は、この町を視察することを決め、そしてこの町を一目見るや否や、農民達の作った「トゥルッリ」を大変気に入り、この町を自分の直轄領とした上で「以後は、この形の家のみを建てるように」との命令を出したのです。そしてこの町を、Alberobello「美しい木」と名付けたのでした。
旧市街地 トゥルッリは、町の南側、大きな駐車場を挟んで、みやげ物屋がならぶ観光地化された「アイア・ピッコラ地区」と、今でも普通の生活が営まれている住宅街「リオーネ・モンティ地区」に密集しています。 これらの二つの地区のやや北、ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りの起点ともなっているポポロ広場(Piazza del Popolo)の南端の方には、アイア・ピッコラ地区を見渡すことが出来るところがあり、ここから見渡すトゥルッリの街並みはこの町の中でも格別です。 サンタントニオ教会(Chiesa di Sant Antonio) アイア・ピッコラ地区の坂を上り、おみやげ屋さんが立ち並ぶ繁華街を抜けきったところに、トゥルッリ建築のサンタントニオ教会が建っています。この教会が建築されたのはごく最近で、1926年に設計されたモノです。トゥルッリ建築で建設されているだけあり、外観はとても特徴的でかわいく出来上がっています。まぁ、内部に特筆すべきところはないですが・・・。 トゥルッロ・ソヴラーノ(Trullo Sovrano) 町の至ることころで「トゥルッリ」を見ることが出来ますが、中でも珍しいのは、唯一の2階建てのトゥルッリである、トゥルッロ・ソヴラーノです。18世紀に建造され、とある富豪が所有していたものでした。1階には、居間や寝室、台所などがあり、2階には、子供部屋があります。他のトゥルッリに比べて、内部もいくつかの部屋に分かれており、当時の調度品や道具が展示されています。また、奥には中庭があり、季節のいいときには、色々な花を楽しむことが出来るらしいです。 ここの内部は、ガイドの説明を受けながら見学をすることが出来ます。入り口は外から開けることが出来ないので、やっているかやっていないかわかりませんが、とりあえずノックをしてみると中からガイドの人が開けてくれます。 |