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ウルビーノ
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Urbino

 アペニン山脈とアドリア海の、ちょうど中間地点ほどの山間に、周囲とは全く異なる雰囲気を持つウルビーノの町があります。それもそのはず、このウルビーノの町はルネッサンスそのものだからです。ルネッサンス以前から町自体の存在は確認されていますが、町中にそのような足跡はほとんどなく、ルネッサンスに続くバロックの影響もほとんど受けていないために、まさにルネッサンスの宝と言えるわけです。
 またこの町は、ルネッサンスの寵児で、後に聖母の画家と呼ばれ、フィレンツェやローマで大活躍した、ラファエロを輩出していることでも知られています。

■ウルビーノの行き方
 ウルビーノはちょっと不便なところにあります。公共の交通機関を利用するのであれば、その運行本数などを考えると、ペーザロまで鉄道を利用して、そこからバスを利用すると行ったルートが最も一般的でしょう。ただし主要都市からペーザロまでアクセスするためには、乗換などを要するためにかなりの時間がかかります。そのため、ウルビーノに訪れるのであれば、ペーザロまで直接行けるボローニャやアンコーナといった町に拠点を持つか、ウルビーノ自体に宿泊するかした方が良さそうです。
 車でのアクセスは多くの方法を考えられますが、最も容易な方法は、Fano(ファーノ)ウルビーノのそばまで伸びている準高速道路を利用するのが良いでしょう。そしてファーノまではアドリア海沿いを通っている高速道路が整備されています。またトスカーナ方面からのアクセスであれば、アレッツォ経由、もしくはペルージア経由といったルートになりますが、どちらもアペニン山脈越えになります。

■ウルビーノの見どころ
 ウルビーノは二つの丘の上に町が作られており、その両方の丘の真ん中、低くなったところに町の主要道路が集まる中心部的存在である共和国広場(Piazza del Repubblica)があります。そしてこの広場から両方の丘を登っていく道沿いに、この町の大きな見どころは集まっています。

リナシメント広場
 共和国広場からヴィットリオ・ヴェネト通り(Via Vittorio Veneto)を登っていくと、丘の上にはドゥーカ・フェデリコ広場とその先のリナシメント広場(Piazza Rinascimento)が広がっています。広場の共和国広場よりには、ドゥオモが建っています。今あるこのドゥオモは、1789年の地震後に全面的に新古典主義の建築に建て直されたものなので、町の中では新しい建築物であると言えます(他の建築物と、ちょっと趣がちがっています)。広場に面した広い階段の上にあるファザードは、19世紀の作。
 また、ウルビーノで絶対に見なければいけないところは、このリナシメント広場に面して建設されているドゥカーレ宮殿(後出)です。またリナシメント広場の中にポツンと一本だけ立っているオベリスクは、ローマから運ばれてきたもので、もともとはエジプトのものだったそうです。

ラッファエロ通り
 共和国広場から北西方向の急な坂道が『ラッファエロ通り(Via Raffaello)』です。この急な坂道は丘の頂上にあるローマ広場まで続いています。道の途中にはラッファエロの生家が今なお残っており、内部を見学することが可能です。このラッファエロの生家があるために、ラッファエロ通りと名付けられたのでしょう。
 更に坂道を上りローマ広場まで行くと、そこにはさすがラッファエロ通りの終点だけあり、ラッファエロの銅像がおかれています。またこの広場では、のみの市が開催されます。

■ドゥカーレ宮殿
 『ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)』は、名実ともにウルビーノの代表格的建造物です。ルネッサンス期に建築された宮殿で、要塞としての機能を持たない君主の宮殿のモデルとなった宮殿だそうです。つまり、軍備目的で建設したゴツゴツとした宮殿ではなく、華麗さ優美さを宮殿に持ち込んだ最初の建造物という事です。リナシメント広場の反対側のガリバルディー大通り側からは、両脇に細長い塔を持つ重層式のテラスによって造られたファザードがとてもすばらしい造形美です。
 現在内部には、マルケ国立美術館とウルビーノ考古学博物館が置かれており、もちろん入ることが出来ます。特にマルケ国立美術館の内部は広く、多くの宮殿内部の部屋や地下空間を見ることが出来ます。

マルケ国立美術館
 ドゥーカ・フェデリコ広場側から美術館には入ります。内部は個人で自由に見てまわることは出来ず、学芸員とともに回ることとなります。個人で行ったとしても、何人かのグループが出来上がるまで入口で待ち、人数がまとまり次第、学芸員の案内で内部に進んでいきます。
 内部は広く本当に数多くの作品が展示されています。また作品もさることながら、宮殿自体の建築美、内装美と、本当に楽しく回ることが出来ます。ここでは、ちょっと面白い、ラッファエロの作品のエピソードを紹介してみようかと思います。
 さて、先にも紹介したとおり、いや皆さんもうご存じのことと思いますが、ルネッサンスの寵児「聖母の画家、ラッファエロ」は、ここウルビーノで生まれ育ちました。となると、ここには数多くのラッファエロの作品があるのではないか、と思いたくなります。しかし、実際にはラッファエロの作品は、公妃の小サロン(Salotto della Duchessa)に展示されている「黙っている女(La Muta)」と呼ばれる貴婦人の肖像、一点だけです。なぜでしょうか?実は、そもそもウルビーノはラッファエロの出身地であるにも関わらず、近年までラッファエロの作品が一点もなかったそうです。そして現在ある貴婦人の肖像は、なんとフィレンツェから寄贈されたものなのです。確かにフィレンツェには彼の作品は沢山ありますから、一点くらいと思っての寄贈なのでしょうが、出身地に作品がほとんどないというのも悲しいものですね。

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