世界で五番目に小さな国サン・マリノ共和国。その首都サン・マリノは、アドリア海を望む標高739mのティターノ山の山頂に位置しており、その山頂にはこの国を周辺の都市国家から守りつづけた要塞が誇らしげに、その姿を今に残しています。
現在のサン・マリノ共和国は、国としては独立国家を保ちながらも、経済的には多くの部分で周囲を取り囲むイタリアに依存するような状況となっています。また、国を支える産業としては、有名な切手の販売収益と、ヨーロッパ中から集まる観光客による観光収入が主な収入源となっています。特に切手は、そのデザインのすばらしさや種類の豊富さで世界的に有名で、収集家ならずとも、その名前を聞いたことのある方は少なくないはずです。
また、「サン・マリノ」と聞くと、F1のサン・マリノグランプリを思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか。実はこのサン・マリノグランプリ、サン・マリノ共和国で開催されているのではなく、イタリア国内のフェラーリ本社があるイモラでおこなわれているのです。F1の一ヶ国一開催地という原則があるために、サン・マリノという冠を借りてくるという苦肉の策を講じているようです。
ちょっと話が脇にそれてしまいましたが、イタリアという国に周囲を囲まれた、世界で五番目に小さな国が、四世紀の建国当初から始まって今なお健在だということは驚きに値するものだと思いませんか?このページでは、厳密にはイタリア共和国ではない、そんなサン・マリノ共和国にちょっと焦点を当ててみました。
周囲をイタリア共和国に囲まれた小国が、今のいままで存続してきたのは、何も偶然ではなく、建国以来のこの国の精神が今なお息づいているためということが出来ます。そこで、ここではサン・マリノ共和国の建国のいきさつと、共和国の歴史上のエピソードを紹介していきたいと思います。
4世紀初頭、アドリア海に浮かぶアルベ島の出身の石切工レオとマリオが、リミニの城壁修復工事のためにイタリアにやって来ました。その当時の皇帝ディオクレティアヌス帝がキリスト教徒の迫害を始めたために、キリスト教徒であった二人はその迫害から逃れるために、レオはフェレトリオ山へ、マリオはティターノ山へと逃れました。その後、この2人が聖人化されたためにその名をとって、レオが逃れたフェレトリオ山の町にはサン・レオと、マリノが逃れたティターノ山の町にはサン・マリノという名前が付けられたそうです。
さて、キリスト教徒としてのこのような建国のいきさつを持っている国だけに、自然とその後のこの国の方向性も定められ、何よりも平和を、そしてその平和を守るために自由と中立を志すようになったようです。軍隊らしい軍隊も持たず、隣国の争い事には中立であり続け、侵入者に対しては山頂の砦で防御を固めることにより、自国を守り抜くスタイルを貫き通すその姿は、立派だといえるでしょう。
また、この国にはこのようエピソードも残っています。フランス革命後の混乱にあったフランスにおいて、イタリア方面担当の軍総司令官としてイタリア半島へとやってきたナポレオン・ボナパルトが、サン・マリノ共和国に共感し、食料と武器を届けたのです。ところが平和を目指すサン・マリノは食料はもらったものの、武器は丁重に返したそうです。そんなところにも、建国の精神が垣間みられます。
現在でも、ひとりの人間に権力が集中しないように、細心の注意を払った政体を持っており、共和国らしい共和国が今なお健在なのです。
サン・マリノ共和国の見どころは、ティターノ山の山頂の斜面に沿って切り開かれた町、首都サン・マリノに集約されています。政治の中心であり、経済の中心であり、観光産業の中心でもあるのです。とは言っても、それほど大きな町ではないので、見るべきところも、それほど多くはありません。ただ山の斜面に町が建設されているので、観光するときは歩きやすい服装で行った方が良さそうです。
三つの砦
垂直に切り立つティターノ山の尾根伝いに、三つの頂があります。そしてそれぞれの頂には、峻険な地形を利用した砦が築かれています。この砦は、国のシンボルであり、数々の外敵から「独立国」としての国を守ってきた立役者であり、そういった共和国の歴史を物語る存在でもあります。
サン・マリノの町から砦に行くと、先ず初めに出会う砦がロッカ(Rocca)またはグアイタ(Guaita)と呼ばれている砦です。この砦は標高738mのところにあり、11世紀頃に建造され、15世紀以降に再建されているそうです。砦から下を覗いて見ると、いかに切り立った断崖の上に砦が築かれているかを実感することが出来ます。まさに天然の要塞を上手に利用した砦と言うことが出来るでしょう。切り立った崖の上とはいえ、砦の内部は思ったよりも広いスペースがあり、いざというときにはここに多くの人が立てこもって、防御できるような作りにはなっているようです。そこには礼拝堂まであったりします。その一方では、これらのスペースを確保するために、塔の部分は省スペースで作ってあり、階段などはとても急に作ってあります。
第一の砦から尾根伝いに延びる城壁沿いの道を歩いて進むと、第二の砦であるチェスタ(Cesta)にたどり着きます。この砦は750mのところにあり、13世紀後半に建造されています。現在この砦の内部には武器博物館があり、主に15世紀に使われていた、甲冑や剣、火器などをヨーロッパから集めて展示しています。どれも年代を感じさせるものばかりですが、きれいに磨き込まれているために、すぐにでも使えそうな感じがします。特に、甲冑には細かな美しい紋様が施されているので、武器と言うよりは芸術品という感じがします。まぁ、まさにその通りなのだが・・・。どこでも、いつの世でも、素晴らしい武具を身につけるような人は、決してそれを汚すような働きをしないものですよねぇ。
最後の砦となるモンターレ(Montale)は、標高743mのところにあり、13世紀に建造された後、1935年に全面的に改修されています。
ちょっと前でふれましたが、それぞれの砦には、更に山頂の上をいく見張り用の塔が併設されています。もちろん飾りではなく、塔の上から見張り番が常に目を光らせて、外的の進入を警戒していました。現在では、もっぱら観光用の展望台として平和利用されており、エミリア=ロマーニャのどこまでも続く緑の平原を見渡すことが出来ます。快晴時には、遥かアドリア海までも見渡すことが出来る、絶好のビューポイントです。また、ちょっと足元を覗いてみると自分の立っている砦の全容をも見渡すことが出来ます。
リベルタ広場
町の中心にあるリベルタ広場(Piazza della Libertà)は、人々の生活の中心であり、政府関係の建物も集まってきています。広場に面して立つのは政庁舎(Palazzo del Governo)で、14世紀の建築様式を踏襲しながら19世紀末に建てられたものなので、実は結構新しかったりします。2階には、12人議会場(Sala di consiglio di dodici)と議会場(Sala di consiglio)とがあり、この2つの広間で政治が行われていることを改めて考えると、小国とはいえサン・マリノが立派な独立国であることを、ハッと感じさせられます。
政庁舎の向かい側の建物が郵便局です。日本に絵はがきを送る際にはここから送ることになるかも知れませんので、憶えておくと便利でしょう。
ちょっと前にも書きましたが、サン・マリノの主要産業の一つは観光です。そのためサン・マリノの町は通りのあちらこちらでお土産店を見ることが出来ます(写真はカルドゥッチ通り)。それらを見ていると、必ずといっても良いほどおいてあるものがあるので、この国の特産品はすぐにわかるはずです。
いってしまえば、サン・マリノ共和国のおみやげと言えば、初めにもちょっとふれた、切手とコインです。特に切手は、世界中のコレクターの間でも、その様々なデザインゆえに、有名なのは前にも述べたとおりです。サン・マリノ共和国では独自の切手の発行をしており、その収入は、なんと国家収入の三分の一にも達し、国の主要産業の一つにまでなっているのです。だからこそ、お土産屋さんには、必ずと言っていい程切手とコインが売っているのです。予め、絵はがきには切手が貼ってあるので、お気に入りを見つけて、友人や家族、または自分に送るのも、記念になるのではないでしょうか。ただし、貼ってある切手の料金は、EU圏内用なので、日本に送る場合は、別に切手を買い求める必要があるのでご注意を。
また、この国はイタリアからビザなしではいることが出来るために、出入国の際のパスポートチェックもなければ、入出国スタンプも押してくれません。でも、ツーリストインフォメーションでお金を払えば、観光用のスタンプを、この国の特産品の切手を張った上で押してくれます。記念にいかがですか?ちなみにスタンプの日付を見ればわかるように、相当昔のスタンプです。今はやっているのでしょうか?
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