パエストゥムの町 全都市表示 サイトマップ トップへ

パエストゥム
Paestum

 古代ギリシャの植民都市として繁栄したパエストゥムは、その起源を紀元前六世紀にまでさかのぼります。そして、ティレニア海の交易により都市は絶頂期を迎え、前四世紀頃に他民族によって征服されるまでギリシャの町としての繁栄は続いたのです。
 その後も様々な支配者の下で繁栄を続けていたのですが、地盤沈下に伴い海岸部の湿地化が進むとマラリアが蔓延するようになり、最後まで残っていた住民もついには町を離れるようになってしまいました。
 更に神殿の建材がサレルノのドゥオモの建築のために持ち去られたことにより、町の廃墟化は一気に進み、ついには誰の目にも留まらない廃墟として放置されるようになってしまいました。
 そして再びこの町が注目を浴びるようになったのは、18世紀になってからのことでした。そして現在ではユネスコの世界遺産に指定されており、その保護が進んでいます。

■パエストゥムの行き方
 パエストゥムへのアクセスは、鉄道もしくは車の利用ともに比較的分かりやすいといえるでしょう。鉄道の利用であれば、サレルノ経由で一本でアクセスすることが出来、パエストゥム駅に到着した後、遺跡までは歩いて10〜20分くらいです。また車の利用でも、やはりサレルノ経由となります。そしてサレルノからは海岸沿いの一本道をひたすらとばしていけばよいので、とても分かりやすいです。到着後も、遺跡のそばにも駐車できるので、ある意味とても便利です。

■パエストゥムの遺跡
 遺跡にはガイドブックによると三ヶ所の入口があるようですが、実質入口として機能しているものは、最も北に位置する、考古学博物館のそばにある入口だけでしょう。ここにはチケットオフィスもあるので、入場券の購入もできますが、他の二ヶ所にはチケットオフィスがなく、出口としてのみ利用されているようなので入場の際は注意して下さい。
 ちなみに、入場は朝の九時から可能となります。そして閉場の時間は毎月異なり、最も短い時期で12月の15時15分、最も長い時期で6、7月の19時30分となっています。まあ大体日没二時間前といった感じでしょう。

遺跡のシンボル「神殿」
 遺跡には『バシリカ(Basilica)』『ポセイドン神殿(Tempio di Nettuno)』『ケレス神殿(Tempio di Cerere)』の三つのギリシャ時代の神殿が残っており、パエストゥムの名声を高めています。
 バシリカ【正式名称:ヘラ神殿(Tempio di Hera)】は遺跡の最も南に位置しており、紀元前六世紀に建設されたと見られているドーリア様式の神殿です。ファザードの9本のドーリス式特有のふくらみのある円柱がその存在感を増しています。
 ポセイドン神殿はバシリカの北隣に建っており、ギリシャ・オリンピアのゼウス神殿との関連を指摘する学者がいるように、紀元前460年頃の古典期の傑作であると同時に、ドーリア様式の代表作となっています。残念ながら工事中であったために残念ながら八割以上が足場に囲まれてしまっていたが、ファザードの6本の円柱と、辺側の14本の円柱によって支えられたアキートレーブ(梁)の状態も良く、この神殿の創建当時の壮大さ、荘厳さを想像することは難しくありませんでした。
 ケレス神殿は上記二つの神殿から少し離れ、遺跡内部の最も北部に位置しており、遺跡の入口からも最も良く見える建築物です。この神殿もまたドーリア式神殿で、ファザードの6本の円柱やアーキトレーブを見ると、典型的なドーリア式であるといえるそうです。
 また番外編としてその規模こそ大きくないのですが、とても面白い神殿を一つ紹介させていただきます。それは住宅街の中にひっそりと建っている地下神殿です。ギリシャ時代に建てられたもので、その建設の目的については、ニンフを祭る神殿という説と、この都市の母市シバリの崩壊後にシバリに捧げた記念建造物ヘロオン(Heroon)という説があるようです。

都市の中心部「フォロ」
 フォロは、ギリシャ植民都市に続いた古代ローマ都市の最重要部分にあたり、ドーリア式の柱廊に取り囲まれている形という、最も一般的な形式となっています。広場の周囲には、南側に『マケルム(市場)』や『クリア(集会場)』、北側には、ローマ都市の中でも最も重要な神殿である『カピトリウム、別名:ユピテル神殿(Capitolium)』や市民議会会場『コミティウム(Comitium)』といった、都市は欠かせないの多くの建造物が隣接しています。
 またフォロの北東部には、円形闘技場(Anfiteatro)があります。この円形闘技場、面白いことにその姿を半分しか見せておりません。残りの半分は、未だ国道や私有地の下に埋まっています。

町の目抜き通り「聖道」
 パエストゥムの遺跡を南北に貫く、目抜き通りの聖道(Via Sacra)は、マリーナ門とシレーナ門を結ぶ東西の目抜き通りと並ぶ、都市の幹道となっています。神殿の脇を通るために、聖道という名が付けられたようです。
 道に敷き詰められた基石は大きく、建設当時からこの道がいかに重要であったかを伺い知ることが出来ます。そしてとても良い状態で見ることが出来るために、その道の真ん中に立つと、昔の都市の足音が聞こえてくるような感じさえしてきます。非常に雰囲気のある道ですので、是非南北通して歩いてみたいものです。

■国立考古学博物館
 開館は、9時から19時となっており、遺跡の方とは異なり年間を通して変わりません。ここの博物館には、パエストゥムの遺跡からの出土物に加えて、セレ川河口近くのヘラ・アルジーヴァの神域からの出土物を展示しています。

33面のメトープ
 博物館に入ると、先ず目に留まるのが、この博物館の一番の見どころの一つに数えられる、壁の上部を飾33面のメトープ(狭間)です。このメトープは、ヘラ・アルジーヴァの至聖所で出土した宝物庫『テサウロス(Thesauròs)』のものです。これらは紀元前六世紀前半に作られた貴重な美術作品で、『ヘラクレスの功業』と『ポロスとケンタウロスたちの戦闘』、『トロイア戦争』と『オレスティア』などのギリシャ神話のエピソードを表しています。

石棺の芸術「ルカニア絵画」
 ルカニア絵画と呼ばれている作品は、棺の石棺に描かれたものの総称で、墓地の発掘の際に発見されたそうです。これらの絵画に描かれた内容の多くは、故人に対する悲嘆や死者が死後の世界で必要とするものを題材にしたものとなっています。
 このような石棺芸術の中でも、この美術館で最も特筆すべき作品は『トゥッファトーレの墓(Tomba del Tuffatore)』です。トゥッファトーレとは「飛び込み男」という意味で、棺の蓋に飛び込みをしている男の絵が描かれているために、このような名前が付けられたのです。この飛び込みという行動は、海への飛び込みを介して彼岸への移行を象徴的に表しているそうです。

■周辺情報
 この周辺は水牛の乳で作ったチーズ、「モッツァレッラ・ブッファーラ」の産地です。数多くのショップを見つけることが出来るので、本場出来立てのモッツァレッラに舌鼓を打ちたいものです。

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